自分にも学生だった頃がある。
同じサークルの知人(かつて友人だったかもしれない)の紹介で始めた居酒屋でのバイト。1994年の夏は前年の冷夏が嘘のように蒸し暑い日が続いていた。
松本城の東、堀に面した小さな焼き鳥屋が自分のアルバイト先だった。夕方より働き始めて終わるのは午前1時過ぎの世界、発作さえ起こさなければ酷暑の環境は体温変化を起こしにくく自分にとってはむしろ願ったりの状況であり、この町で過ごせた一年は自分にとって有意義ではあった。
この町で、ある意味で自分は運命的な出来事に巻き込まれている。
他人を愛そうと思えた最後の一年だったというのもある。
その日、自分は深夜1時過ぎまでバイト先で働いていた。
下宿として利用していたのは大学まで徒歩数分の家で、バイト先までは緩やかな坂道を自転車でしばし進む必要があった。行きは下りで、帰りはのぼり。必然と帰宅の際には風上に向かう事が多く、自分とバイト仲間の学生はいつものように坂を上って深夜の松本市を走っていった。自転車でなければ、より道をしてたかもしれない。
或いは、其処にとどまっていたかもしれない。
自分が事件を知ったのは、翌日早朝に電話で叩き起こされてからだった。
自分のバイト先、その周辺に毒ガスがばら撒かれていたのを知ったのは、蒸し暑い朝だった。
ガスは、バイト先にも届いていた。まだ若い店主が店の片付けをしており、僅かにガスを吸ったのか頭痛を訴えていた。
蒸し暑い夜だった。
冷房を持たない貧乏学生にとって、窓を閉め切って寝るなど無謀としかいえぬ状況だった。あの現場周辺に居を構え命を落とした学生と、そうでない学生の差は、家電製品ひとつだったかもしれない。
自分は幸運にもガスを吸わなかった。
吸ったという自覚は無い。吸っていたかもしれないが、証明することはできない。分かっているのは、偶然が重なって生きていた事だけ。命を落とさずとも重篤な障害を抱えていた可能性もある。
当時は、事件の理不尽さに驚き嘆くばかりだった。
自身の幸運と犠牲者の不運を考え、それでも他人事と割り切る余裕もあった。
だが、後年になって思う事があるのだ。
自分は、ひょっとしたらあの時に命を落とすべきだったのかもしれない。本来自分はあの松本サリン事件で命を落とした一人だったのではないかと。馬鹿げた事かもしれないが、自分はあの夜に。