自分の身体に合った吸入薬を手に入れるまでは、発作に苦しみながら夜中まで起き途中で酸欠で意識を失うのが常だった。
季節の変わり目。
天候不順。
無茶な運動。
煙草の副流煙。
アルコールの匂い。
香水。
秋と冬の気温。
寒暖差。
標高差。
カビ。
刺激物が発作の引き金になった事すらあった。
冬の日に、外を5分ほど歩くだけで発作に襲われた。走れば30秒とかからなかった。
どこまでいけば致命的な酸欠状態になるのか、身体が覚えてしまったほどだ。気圧や湿度の変化を肺と気管の粘膜が敏感に察知して、短期間の天候予測が出来たほどだ。
その代わり、当たり前の生活が出来なかった。
発作さえ起こらなければ常人と何ひとつ変わらぬ生活を送る事が出来る身体は、言い換えれば発作が起こらなければ健常者としての行動を強いられた。精神論を持ち出す者もいたが、その精神で普段の生活をギリギリ支えていたと言っても彼らは耳を貸してくれず、失望した視線をこちらに投げかけるだけだった。
発作止めの吸入薬との出会いは、自分の生活を一般人に近付けてくれた。
限度はあったがアルコールの摂取も可能になった。隣で煙草を吸われても耐える事が出来た。刺激物の多い薬品を扱う実験も慣れる事が出来た。
それでも発作止めは、予防薬ではない。
息苦しさで目が覚めるのが、秋冬の姿になった。
文字通り気管がつまり、酸欠の苦しみで目が覚めるのだ。目覚めの爽やかさは其処には無く、鈍い頭痛と肺に刺す痛み、全身の気だるさと吐き気。そういうものがまとめて毎日襲ってきた。極稀にではあるが、吸入薬でも対処できない発作を起こして救急車で運ばれる事もあった。
多くの人が当たり前のようにできる事の数々が、自分にとっては生命の危機に直結し得るものだった。どれほど軽い発作に思えても、その時の体調次第では肺炎を併発することすらある。実際に肺炎と認定された事もあったし、咳き込んだものに血が混じっていた事など日常茶飯事であった。
そういう意味では、健常者に比べてほんの少しだけだが自分は死というものを意識してきたのかもしれない。