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黙考4

大学受験の一日前に、北海道東方沖地震が起こった。実家は震度6、携帯どころかポケベルすら普及しているかどうかの時期であり、実家に連絡がついたのはセンター二日目が終了した夜だった。
どの道無理だと諦めていた受験ではあったが平常心を崩された自分には微塵の勝機も残されてはいなかった。
自分の故郷は年に数度は中規模の地震が起こる土地だから、住民にある程度の備えと覚悟はあった。それでも震度5(当時は6といわれた)の直撃を受けたと聞いて平静でいられるはずがない。とはいえ前後数年に多発した大規模地震の一番手として、我が故郷の被害は後々の悲劇に比べると拍子抜けするほど軽いものだった。それでも死者が出ている。怪我をした人もいる。連絡のつかぬ故郷の家族知人を思い心苦しんだ人が大勢いる。

阪神淡路大震災のインパクトが大きいので記憶に残らぬ人も多いだろうが、北海道南西沖地震もまた十分に悲劇と呼べる震災だったと思う。北海道東方沖の被害の軽さに油断していた自分たちが、ブラウン管越しに見たその惨劇にひどく打ちのめされたのを今でも覚えている。地震と言うのは、その規模もそうだが発生した土地の条件などにより被害の大きさが変わるのだろう。

阪神大震災は、一年間の浪人を経て大学に入った最初の年の一月に起こった。
関西では大きな地震は起こらないと誰もが信じていた頃の、そういう年の惨劇だった。天災であり人災であり、避けられるべき悲劇が欲深い者たちの縄張り争いや競争により踏みにじられた場でもあった。
彼ら被災地の住人が受けた苦しみや直面した惨劇の重さ大きさを疑う余地はないが、時たまではあるが関西方面の方の中に「俺達は震災を経験したんだ、お前らにはわからんよ」という態度を言動の中ににじませる方がいらっしゃる。
悲劇はどこにでもある。目を背けたくなる惨劇は沢山ある。確かに阪神大震災のあの被害はとてつもないものだったが、他の災害事件にあって苦しんだ人を軽んじていい道理があるのかと疑問に思う事がある。

実は似たような感情を沖縄の人に抱く事がある。リアルタイムでソビエトやロシアの脅威にさらされてる北海道民としてはどう対応すればいいのだろうと悩む事がある。おそらく各人には各人の悲劇があり、そんなものを相対的に比較することなど無意味に等しいと思うのだが。

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このページは、はざままさとが2009年8月12日 22:25に書いたブログ記事です。

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