高校の三年間、寮生活だった。
ルームメイトに恵まれはしたが、ルーズに見えて容赦なく厳しい寮則が存在し、また喘息の発作がトドメになった。
眠れずに机に突っ伏し、眠ったかと思えば実は酸欠で意識を失っていただけという日々をどれだけ繰り返したか、思い出すことも出来ない。心配したルームメイトが寮教諭をに連絡し、夜中に病院に連れ込まれた事も数限りない。
当時は既に吸入薬は存在したが、過去に心臓にやや負荷の掛かる病気を(一時的にではあるが)患った身としては、脈拍が一気に200近くまで跳ね上がるような副作用を持つ吸入薬には手が出せなかった。
(そのクスリを後年になって服用したら右手右足の痙攣が生じるというオマケ付だった)
冬に、少し薄着で外を5分も散歩すれば重い発作が起こった。
軽く汗をかくだけでもアウトだった。
今思えば常夏の環境ならば発作の頻度も抑えられたかもしれないが、当時はそこまで気が廻らなかった。何をすれば発作が起こるのか、手探りで調べていくしかなかった(そして条件が揃うたびに寝込むハメになった)
酸欠の苦しみは、打撲や裂傷のそれとは一味違う。
首を縛る時の苦しみとも違う。
己の内側で空気の出入りが勝手に塞がってしまう感覚は、喘息もちになら分かっていただけるだろう。なまじ他の臓器が健在である分、身体は酸素を求める。油断すれば命を落とすが、早々には死に至らない苦しみが何時間も続く。それを毎晩のように経験した。14歳の頃から、ずっとだ。長くは生きれないなーと当時は割と真剣に思った。
後年になり比較的安全な吸入薬と体質変化により喘息の発作そのものは治まっているが、あの時の苦しみを思い出すたびに、気が遠くなる。
黙考
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