腕の立つ男がいた。
剣を振れば岩を断ち、水面を割る。気勢が乗れば竜の鱗を貫き、剣仙と称えるものすらいた。
ある時、男は己に見合った剣を求めようとして、ふと考えた。
なぜ良い剣を求めるのか。
手近にあった棒を拾い、男は巨木に叩き付けた。棒の中に刃があると信じ、剣を振るうように刃の一点に力を込めるが如く振るえば、棒はいかなる名刀よりも鋭い切れ味をもって巨木を両断した。
なるほど、これが意の剣であるか。
男は感心し、剣にこだわることをやめた。棒が、箸が、紐の類ですら男にとっては金鉄百貫目の神剣より勝る武器であった。
しばらくの時が経った。
男は、意とは如何なるものであるのか疑問に抱いた。無手のまま男は岩の前に立ち、虚に剣のあるが如く構えて烈迫の気合と共に振るえば、果たして身の丈を超える大岩は真二つに断ち切れた。
男は得心し、一切の武器を捨てた。
武器を捨ててなお男の武勇はとどまるところを知らず、相対するものは恐れ戦いた。
男は慢心することなく、ただただ己の行き着くところを追い求めていた。
意をもって刃と成す。
ならば意そのものが刃となるのであれば、それを振るう行為は必要なのかと。男は暴れる猪を背に向け身構える事もせず、ただただ研ぎ澄ませた殺意を背後に向けてみた。
気付けば大猪は解体されていた。
百の刃をもってしてもこれほど滑らかに断つ事は難しいと猟師が驚くほどに、骨皮筋に最小限の傷のみを与えて全てを解体していた。
得物は要らぬ。
構える事も要らぬ。
そこに意があれば、それは成されるのだと男は理解した。ならば世に溢れる様々な憎悪怨念の類は、ひとたびでも切っ掛けを得れば百億の刃となって世界を刻むのだと。
鋼の刃なら、鞘に収めて平穏を導く事もできる。
では剥き出しの悪意を収める鞘は何処にある?
男は慄いた。わずかに心穏やかならざる揺れが、万物を刻むのだ。下卑な声が、売女の化粧の匂いが、詐欺師まがいの役人の奇麗事が、男の耳目に届いたが最後、剃刀よりも鋭い刃となって彼らを刻み尽くすのだ。
男は人里を去り、山奥に小さな庵を構えて過ごすようになった。
五年、
十年、
二十年。
人との関わりを断ち、俗世の合切を捨て山野に融けこむように暮らす男。その身体はいつしか齢を重ねる事を忘れ森羅万象の理と合一を果たすまでとなっていた。
「すいません、NHKの料金を――」
その日、この星から日本という国が文字通り消滅し、その余波で世界の半分が吹き飛んだ。不幸にも生き残った人々は、星が滅びゆくまでの数年間を絶望の下で過ごし無常の世を嘆き尽くしたという。