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2009年11月アーカイブ

 腕の立つ男がいた。
 剣を振れば岩を断ち、水面を割る。気勢が乗れば竜の鱗を貫き、剣仙と称えるものすらいた。
 ある時、男は己に見合った剣を求めようとして、ふと考えた。
 なぜ良い剣を求めるのか。
 手近にあった棒を拾い、男は巨木に叩き付けた。棒の中に刃があると信じ、剣を振るうように刃の一点に力を込めるが如く振るえば、棒はいかなる名刀よりも鋭い切れ味をもって巨木を両断した。
 なるほど、これが意の剣であるか。
 男は感心し、剣にこだわることをやめた。棒が、箸が、紐の類ですら男にとっては金鉄百貫目の神剣より勝る武器であった。
 しばらくの時が経った。
 男は、意とは如何なるものであるのか疑問に抱いた。無手のまま男は岩の前に立ち、虚に剣のあるが如く構えて烈迫の気合と共に振るえば、果たして身の丈を超える大岩は真二つに断ち切れた。
 男は得心し、一切の武器を捨てた。
 武器を捨ててなお男の武勇はとどまるところを知らず、相対するものは恐れ戦いた。
 男は慢心することなく、ただただ己の行き着くところを追い求めていた。
 意をもって刃と成す。
 ならば意そのものが刃となるのであれば、それを振るう行為は必要なのかと。男は暴れる猪を背に向け身構える事もせず、ただただ研ぎ澄ませた殺意を背後に向けてみた。
 気付けば大猪は解体されていた。
 百の刃をもってしてもこれほど滑らかに断つ事は難しいと猟師が驚くほどに、骨皮筋に最小限の傷のみを与えて全てを解体していた。
 得物は要らぬ。
 構える事も要らぬ。
 そこに意があれば、それは成されるのだと男は理解した。ならば世に溢れる様々な憎悪怨念の類は、ひとたびでも切っ掛けを得れば百億の刃となって世界を刻むのだと。
 鋼の刃なら、鞘に収めて平穏を導く事もできる。
 では剥き出しの悪意を収める鞘は何処にある?
 男は慄いた。わずかに心穏やかならざる揺れが、万物を刻むのだ。下卑な声が、売女の化粧の匂いが、詐欺師まがいの役人の奇麗事が、男の耳目に届いたが最後、剃刀よりも鋭い刃となって彼らを刻み尽くすのだ。
 男は人里を去り、山奥に小さな庵を構えて過ごすようになった。
 五年、
 十年、
 二十年。
 人との関わりを断ち、俗世の合切を捨て山野に融けこむように暮らす男。その身体はいつしか齢を重ねる事を忘れ森羅万象の理と合一を果たすまでとなっていた。

「すいません、NHKの料金を――」

 
 その日、この星から日本という国が文字通り消滅し、その余波で世界の半分が吹き飛んだ。不幸にも生き残った人々は、星が滅びゆくまでの数年間を絶望の下で過ごし無常の世を嘆き尽くしたという。

 思うところがあり、生魚を食した。
 口にする機会は今年に入って幾度かあったが、諸事情により肉や魚に対してやや拒否反応があった身なので美味いとは到底思えない日々が続いていた。環境と体質の変化が主な原因ではあるが、生活習慣がそれを拒む理由にもなっていた。
 今日は漁港前の食堂で、行列ができるほどの有名点だった。
 寒空の下で並ぶのは正直癪だったが、並ぶ価値のあるものを口に出来たと思う。生魚を美味いと思ったのは本当に久しぶりだ。ようやく、生魚を克服できた。肉とタマゴそれに内臓も、しばらく前に食べられるようにはなっていた(香辛料使用が前提だが)。
 あとは最大の難関である牛肉だが、まあ食わなくとも人は死なないと思う。
 生魚を食べても吐き気がしないだけ今日の自分は幸運であった。

記事 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20091113k0000m040079000c.html

TBSのディレクターが逮捕された件もあわせて考えると面白い。

記事 http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20091113-OHT1T00065.htm

この国を、少なくとも大多数の日本人を破滅に向かわせようとする動きが露骨になってきたなあと。漢方薬の保険適用を外す話とか、先端科学技術への資金停止とか、国の礎になるようなものを壊している。
その上で、選挙目当てのバラマキや外国人(実質的に半島人と中国人だろうが)参政権だけは成立させようとしている。らしい。

自分みたいなニートのヒキコモリは真っ先に粛清されるんだろうかね。やれやれ。

 気がつけば、いわゆるライトノベルと呼ばれる物を読まなくなっていた。

 積極的に読んでいたのは7~8年前。それから3年ほど惰性で読み続け、後はお気に入りのシリーズに続刊ないし完結巻が出れば購読するのみ。新規開拓そのものは5年近く行っていない事になる。
 アニメも、まともに見なくなって久しい。
 じゃあ自分はラノベやアニメを卒業したのかと言われると、どうしても違和感を否めない。卒業したとか見限ったという立派なものではなく
『ついていけなくなった』
 というのが自分自身の中にある感覚だろうか。
 刊行ペースに。挿絵の傾向に。物語の種類に。物量に。流行とされる作品のジャンルに。とにかく、ついていけない。
 ラノベの揃えが多少良い本屋に赴き、並んだ表紙を眺めてみるとヒロインと思しき美少女が媚びてるのか格好つけているのか読者にアピールする構図ばかりが目に付く。
 まるでアダルトビデオのパッケージのようだ。
 歴史に残るような傑作も、あの本の海には眠っているのだろう。だが今の自分には、その海をかきわけてまで探そうという気力はない。誰かが「これは名作だ」と褒め称え、立派な書評がでたらその書評だけを眺めて「こんな本があるのだな」で済ませるのが精一杯。もっとも現状では、その書評にすらついていけなくなっている。
 そういう物語の氾濫に対する嫌気というものが今の自分にはあるのかもしれない。

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