第十二話 たちわかれ  親子とは理不尽なものである。  子は親を選べないし、親もまた子を選べるわけではない。決して不可能ではないが、誰にでもできるわけではない。 「だが夫婦というのは、相手を選べるのだ。そういう意味では親子の縁よりも希薄と言えるだろうな」  温くなった茶をすすり、佐伯えりかの実父である安東直弘はぼそりと漏らした。 「うちは、その典型だった訳だ」 「はあ」  もはや呼び出された理由さえ明瞭ではなく、世間話に近しい形で佐伯隆は直弘の愚痴に付き合わされていた。 「私も万理も、改善の兆しを見せない家族関係の修復に無駄な努力を費やすよりも、充実し始めた仕事に専念したかった。娘を疎ましいと思うことさえあった」  愚かしい。  自嘲し、首を振る直弘。 「社のプロジェクトで日本を離れること数年、仕事の目処が立ってからだ。離婚したことを悔やみよりを戻そうと思ってもプロジェクト完遂までには帰国もままならず……気付けば万理は恋する乙女のように再婚し、娘は見知らぬ男と同衾だ」 「同居です、同居」 「君がいけすかない男なら、簀巻きにして伊勢湾に沈めて娘を奪い返していたところだ」  冗談の気配など微塵も見せず、直弘は物騒な台詞を口にする。本気だ。 「残念だ」  仕事を優先して離婚する際に親権も放棄したに等しい直弘は、過去の行いを悔やみつつ何度も唸る。 「学生寮の火災焼失を聞いて、帰国準備を進めていた私は千載一遇の好機と考えていた。万理が新しい家庭に生きるのなら、学生寮にて生活している娘は立場上そこに転がり込むのは気が引けるというものだ。青蘭寮に頼み込んで行方を聞き出し、本社の部下を使って娘のためにウィークリーマンションを手配しようと思ったら……あれだ。どこぞの馬の骨ともしれぬ高校生カップルで神田川で二十四色クレパスでしっぽりやっていると噂が流れて来てなぁ」 「むちゃくちゃな誤解ですね」  どんよりと瘴気さえ漂わせつつある直弘の独白に、額に汗を浮かべ退き気味に腰を浮かせる隆。学園長は先刻より微笑んでいたが、カップを持つ手が小刻みに震えているのを隆は見逃さなかった。 「私の記憶に残っている娘は、それこそ十歳になるかどうかの頃だからなあ」声がかすれる「こう、十歳になるかどうかの娘がなぁ。性欲むき出しの男子高生と一つ屋根の下で蹂躙されたりポルノコミックも顔負けの性的虐待を受けているんじゃないかって」  隆は答えない。  いや、答えられない。直弘の耳には既にいかなる音声も届かず、痙攣にも似た体の震えは全身に及んでいる。 「き、ききききききっ。貴様、貴様さえいなくなればッ! 貴様がいなければ私は娘と再びっ」 「義兄妹フラグ立てキィィィィィィック!」  直弘が立ち上がり隆の首を絞めようとした瞬間。  学園長室の扉を蹴破って現れた義妹えりかが入り口付近で跳躍し、美しいまでの軌道を描きながら直弘のこめかみに飛び蹴りを喰らわせた。  重力を無視した動き。  例えるなら、悪の怪人を首領もろとも葬ってしまえそうな一撃。 「大丈夫、隆おにいちゃんっ」  実父と気付かず直弘の頭をぐりぐり踏みつけつつ、半分ほどにやけた顔で心配そうに隆を見るえりか。 「学校にお兄ちゃんに似た人が来ているって話を聞いて、しかも実際に来たらおにいちゃんの匂いもするしっ……ほんっっっとに心配したんだからねっ」  力説するえりかを眺めつつ。  何を説明し誰にどう突っ込みを入れればよいかと隆は脱力気味に嘆息し、学園長は秘書に頼んで茶器をもうひと揃え取り寄せた。