第三話 せをはやみ  佐伯隆は家事のエキスパートである。  父は仕事で忙しく、隆は父のために毎朝の弁当を作り家を守ってきた。二人の祖母よりそれぞれ学んだ料理は、本来は母が家の味として守るべきものであり、隆は一生懸命その味を覚えた。  小学校高学年になるころには、父は隆の腕を完全に信用し家事の一切を任せるようになった。隆はそれが当たり前だと考えていたし、生活の一部になっていた。独り暮らしを始めるようになって最初は家事の一切をサボろうとも思ったが、身体に染み付いた習慣は簡単には改められるものではない。  幸い、食い扶持がひとり増えたので二人分の弁当を前に途方に暮れることはない。 「でもね、今朝はえりかさんが弁当を作ってくれたんだ」  いつもと違う弁当箱を手に、隆は嬉しそうだった。  誰かが自分のために食事を作ってくれた。それは隆にとって生まれて初めての体験であり、家族というものの有り難味を感じる瞬間でもあった。 「……私だって、私だって」  心底嬉しそうな隆の姿に、夏木紅葉は少しばかり悔しそうだった。 「頼まれればお弁当くらい作ったわよ」  レパートリーは少ないが、得意料理の一つや二つくらい紅葉にもある。もっとも丸焼きとか菓子の類なので、学生の弁当惣菜には果てしなく向いていないのだが。 「でも、義妹さんって料理得意なの?」 「家に居た頃は店屋物と冷凍食品のオンパレードだったみたい」 「……」  昼休みの屋上。  何度目かの喧嘩と仲直りを経て元の鞘に納まった隆と紅葉は、一緒に昼食を摂るようになっていた。それが恋人ごっこの第一段階なのだと、紅葉は主張している。炊事洗濯掃除が私生活の八割を占めていた隆には、当たり前のことから説明しなければいけないのだと考えたようだ。 「佐伯君、手ぇ震えてるわよ」 「たぶん嬉しくて武者震いかも」  気持ちとしては、嬉しい。  だが身体は正直だ。調理の極意はおろか基本さえ怪しい女子中学生の手料理である。米の炊き方こそ隆が丁寧に教え込んだものの、それ以外の技術は壊滅的でさえある。 「いいとこ、日の丸弁当だと思う」  むしろ日の丸弁当であってほしい。  余計な細工は必要ない、基礎力のない創意工夫で生み出された料理が毒物と大差ない。ごま塩でもふりかけでもいい。義妹の余計な気遣いが弁当にこもっていないことを、隆は願っている。それは手作り弁当の本質を考えれば矛盾したものではあったが、えりかという義妹の本性というか性格が見えてきた隆にとって、彼女の「やる気」は怖いものがあった。 「武士の情けで、オカズの一つや二つくらい恵んであげるわよ。前方君と違って、私は慈悲深いんだから」 「あははは」  なんとも情けない笑顔で、隆は弁当箱の蓋を開けた。えりかが何処からか調達してきた、いかにも前時代風のアルマイト弁当箱の下半分には、ぎっしりの白米と日の丸梅干。  そして上半分には。 「あ」  白地に水色の、横縞ストライプ。  くしゃくしゃに丸められた、握り拳より一回りほど小さな布製品。隆も紅葉も絶句し固まっている。 「なるほどな」  数分後。  通りかかった前方忠以が隆の弁当箱を覗き込み、唖然としつつも頷いた。 「こりゃ見事なオカズだわ」  脱力した隆の手の中で、弁当箱に納められた縞々ぱんつが風に揺れる。  その日の晩。  隆によるお説教は深夜二時まで続いたという。