呆れるほど穏やかな春の午後、近所の河川敷にある桜木の根元にベル七枝はいた。  青蘭の制服ではなく、自分の師が通っていた犬上北高校の制服を、彼女は着ている。 「えへへ」  花薫る、春の風は穏やかで、全身が蜜に包まれているようだった。  隣には、敬愛してやまない、師たる青年。彼女は青年に呼び出され、この場に来ていた。 「どーしたんですか、師匠。突然こんな場所に」  呼び出された理由もわからず、ベルは師を見た。 「ベル」一拍の間が空いた「君を愛してるんだ」 「ががーん!」  反射的にベルは効果音を口にしていた。 「今更のように気付いたんだ。嫌いな相手と肌を重ねるはずはない、君だから身を任せていたんだって」 「で、で、で、でもでもっ。告白しなくたって、定期的に押し倒しているわけでっ……今更告白しても関係がこれ以上進むことなんてっ」 「結婚しよう」 「どかーん! どっかーん!」  あまりにストレートな言葉に、ベルは土手を転がりながら叫び続けた。それでも青年は至極真面目だ。 「俺は誠実でありたい。君以外の女性となど肌を重ねる気も起きない、その誓いを示したいんだ」 「で、で、でもっ。師匠には佐久間千秋って、大切な人がっ」  やはり間が空いて、青年は首を振った。 「年増には興味ないんだ」 「そ、それでも……沙穂ねーさんとかっ」 「あんな摩擦係数が限りなくゼロに近くてデコで眉毛太くてメガネで腰も細くて足の指がくさくて、人に言えない部分の毛の手入れをおろそかにしているような女より、君の方が魅力的だよ」 「し、師匠ーっ! 信じていいんですね、あたし告白されたからには迷いませんし遠慮しませんよ! 分かってますか、師匠っ!?」 「はっはっは。可愛くてお茶目な自虐趣味だなあ、君は」  あくまで爽やかに外道発言を繰り返す、青年。 「し、師匠ぉぉおおおっ!」  感極まってベルは青年に抱きついて。  ……当然のように、夢から覚めた。  影法師番外編 謝罪と倍賞 「……」 「あ、起きた。ほら、ベル、人民軍の部隊が吶喊してきたから応戦するわよ。ここで神仙が張った結界が崩れたら、東アジアの竜脈が崩壊しちゃうんだから」  黄砂混じりの嵐が吹き荒れる丘陵地帯に、ベルと桐山沙穂はいた。どちらも学校の制服姿だが、沙穂はブレザーの上に弾帯を幾重にも掛け、馬や車両で運搬しなければ持ち運べないはずの重機関銃を担いでいる。どちらかというと華奢である沙穂の体躯からは考えられぬ力である。 「……」 「ほらぁ、密集陣形を相手がとってる内に色々打ち込んで、後は各個撃破するわよ」 「やだ、帰る」  間が空いた。 「……もしもし?」 「夢の中で師匠に求婚された。責任を取ってもらうためにも、あたし帰る」 「もしもーし?」 「たとえ夢の中とはいえ、花も恥らう少女と結婚の約束を交わした以上、それは法的根拠がなくても効果はあるの! 今の女とも別れるって言ってたし、沙穂ねーさんには興味ないって言ってたし、あたしだけ愛してるって夢の中で言った以上は、現実社会でも言わせるの! 具体的には三千回くらい!」  打撲音。  後頭部を銃床で強打され、ベルの顔面は地面に埋まる。 「信憑性のない妄想淫夢を真に受けて戦局を放り投げるなあああっ!」 「万が一にも真実だったらどーするんですか!」 「その時は、あたしが全員コロス」  洒落にならないほどの表情ですごみドスの効いた声で呟く沙穂にベルは言葉を失い、それから即座に自分の法具を手に取った。 「よ、よーし。神仙の結界を守るっすー!」 「おう」  こうして難局を乗り切ったものの、沙穂がしばらくの間ベルに口をきかなかったのは言うまでもない。