第十二話 呉越  バケモノと人間が手を結ぶ事例は決して少なくない。  切羽詰って融合するもの、恋に落ちて駆け落ちするもの、人間の生き方に憧れ守護者として振舞うもの、人間社会の食い物に異常な執着心を示すもの。その中でも暴力の二文字を通じて結びつくと、人間とバケモノはうまくやっていけるようだ。  非合法活動全般。  法に外れた稼ぎ口を持つ連中は、どういうわけか異形と手を組みやすい。暴力や殺人に身近な業界だから、いつの間にか部下が異形にすりかわっていることもある。  犬上の湾は浅瀬が広がるので、大型のタンカーは港に入ることができない。元より海運で栄えた街ではなく、これから栄える予定もない。地元の代議士とやらが港付近に倉庫街を作ろうと土地を買い占めたこともあったが、大型船舶が寄航できない上にバケモノがたくさん住み着いている犬上に来る船など存在しなかった。  その倉庫街が、炎上している。  不法残留している異邦人、雨露をしのごうと住み着いたホームレスたちが、炎と爆発から逃れようと倉庫街から逃げ出した。  炎の海は建物という建物を飲み込んで、全てを灰燼に帰そうとしている。保管された荷物などほとんど存在しない倉庫街では延焼しようにも可燃物が少ないはずだが、炎の勢いはまるで衰えを見せない。  爆発的な炎上から数分。  近くに民家はなく、そして即座に駆けつけられる消防車で消し止められる規模の火災ではない。犬上市民にとって幸いだったのは、この火災で怪我を負ったものが一人として存在せず、市街地に燃え広がる心配がないことだった。元より手抜き工事で作られていた倉庫群は僅か数年で老朽化が進み、炎に飲み込まれることで簡単に崩れた。そして一端崩れてしまえば炎はそれ以上激しくなることはなく、倉庫街の内部のみを焼き尽くすのだ。  が。 「音原組が壊滅したから、隙間狙いで大陸系の連中が入り込もうとしているッスよ」 「……あー、そ」  よりにもよって深夜の倉庫街に、場違いとも言える二人の少女の声が吸い込まれた。 「魔蟲の卵が1ケース、それに自然発生型の妖魔型異形が3体。好事家に売れば億単位の取引」  暗闇を濁す炎を背景に、金茶の髪をポニーテールにまとめた中学生ほどの少女が呟いた。チタンの板を何枚も内部に仕込んだ特別製のトレッキングシューズで踏み込めば、足下で転がっていた商社マンと思しき男が苦悶の声を上げる。周囲には「いかにも」としか言いようのない大陸系マフィアの構成員達が意識を失って倒れており、その中で一際目立つ道士風の奇天烈な衣装を身につけた男は、身体の数箇所に弾丸を喰らっていた。  まともに顔面近くを通過すれば衝撃で脳震盪を起すような威力の弾丸を数発喰らい、それでもこの男は生きていた。男は銃撃される瞬間、己の道服を鉄より固く変化させたのだ。  このような真似は術師以外には存在しない。 「魔物回収と、協定違反の術師逮捕ね」  小型の自動拳銃を虚空へと消し、もうひとりの少女が息を吐いた。黒い髪を三つ編みにした眼鏡の少女で、犬上北高校の制服を身につけている。ポニーテールの少女に比べれば地味という印象を受けるが、道服の術師に弾丸を何発も撃ち込んだことを見るに性格は苛烈とも言える。 「結局は雑魚じゃないのよ。こんなんじゃ三課からの報奨金も期待できないわね」  三つ編みの少女は電卓を叩き、表示された額をみて力なくうなだれる。  倉庫街を飲み込む炎はますますその勢いを増していたというのに、不思議なことに二人の少女の周りには炎は近付こうとはしない。二人はそれが当たり前かのように振る舞い、倒れているマフィア達を縛り上げると引きずっていった。  パトリシア・マッケイン女史は苦悩していた。  元より科学者や技術者というのは苦悩することが商売のようなものだ。苦悩するからこそ既存の技術を改良し、新しい器具を生み出す。現状への不満と憤りこそ発明の源であり、能天気かつマッドな技術者と称される彼女でさえのほほんとした笑顔の下に様々な悩みを抱えている。  パトリシア女史は、確かに苦悩していた。  彼女は三課と呼ばれる組織の支局長代行であり、数多くの術師を指揮し監督する責を負っている。三課が術師の斡旋をその主要なる業務としている以上、彼女の責務は重い。特に犬上という街は数多くの術師と異形が存在するため、事件の発生件数は首都圏を越え「北の都市」に迫るものがある。故に犬上の街は特異点都市のひとつとして業界では有名なのだが、発生する事件の深刻さは他地域に比べて軽度のものが多く、前述の都市のように住民が逃げ出すこともない。 「とはいえ物事には限度ってのがあってね」  額に青筋が浮かぶのを自覚しながら、パトリシアは精一杯の笑顔を浮かべた。  三課の事務員達はそそくさと己の業務に集中し、少しでも被害を避けようと彼女のデスクから遠ざかろうとしている。  デスクの前には二人の少女が立っている。  一人は金茶の髪をポニーテールにした女子中学生で、もう一人は黒髪を三つ編みにした眼鏡の女子高生だ。どちらも火災に巻き込まれたかのように全身煤だらけで、なおかつふてくされている。 「自分は業務規定に従い、敵対する武装術師および協力者を武装解除させるため自らの術式を用いて威力行使しました」  女子中学生、つまり炎術師たるベル・七枝が敬礼しながら胸を張る。一語一句に自信がみなぎり、自分は全く悪くないと言わんばかりである。対照的に黒髪の女子高生、すなわち桐山沙穂の第二人格であるサホは、申し訳無さそうにがっくりと肩を落とし片手を挙げた。 「あたしは逃げ出そうとしたギャングの車に炸裂弾ぶち込んで、エンジンを破壊しました」 「当てるまでに外した弾数は?」  意地悪そうなベルの問いにサホは唇を噛み。 「……右の銃は8発。左の銃は6発です」  と悔しそうに答える。  炸裂弾はパトリシアが開発した特別製で、物理防御力の高い術師やバケモノを破壊させるために特殊な炸薬を仕込んだ物だ。 「外れた弾丸が空き倉庫に吸い込まれるように消えて、それから倉庫が爆発炎上しました」 「自分は、その炎を有効活用したまでです。目標が逃走しないよう炎の流れを操作し、倉庫街を取り囲むことにしました」  サホが火をつけ、ベルがそれを広げた。  要はそういうことだ。  パトリシアは言葉を出さず、代わりに刷り上ったばかりの朝刊を数誌、デスクの前に置いた。いずれも県内で流通している地方紙で、一面で犬上市港湾倉庫街での大火災を告げている。奇跡的に死者こそいなかったものの、近隣市町村の消防車まで動員したこの火事は犬上市の歴史上最大規模の火災として報じられることになった。 「あー、こりゃ派手に報じられちゃいましたね」  他人事のように呟くベル。既に主犯はサホであると主張し終えているので、あとは報酬を受け取ってシャワー浴びて寝るだけと決めかかっている。一方のサホも、物的被害が出ている以上は弁償は免れないだろうけど、今更内臓全部売っても弁償しきれない額の借金を主人格に内緒で抱えているので大して気にしていなかった。 「――これ、規定報酬から各種弁償費用を差し引いた今回の支給額ね」  パトリシアはもはや怒る気にもなれず、薄っぺらい茶封筒を二人に渡す。  その封筒に見慣れたものを感じたのだろうサホはますます落胆しながらこれを受け取り、何も知らないベルは笑顔でこれを受け取って帰宅した。  ベルが報酬額のマイナスっぷりに悲鳴を上げるのは、それから1時間後のことである。  術師が受ける報酬は高額であることが多い。  その絶対数が需要に対して圧倒的に足りないこと、法を越えた領域で主に活動していること、そして彼らの仕事が基本的に命懸けということがその理由として挙げられる。強力なる異形と対峙すれば命を落とす術師も少なくないし、仮に勝てたとしても無傷で帰還できるものは多くない。  打ち身擦り傷は当たり前で、骨折で済めば儲けものだ。治癒の術を修めた術師がいれば傷を回復させることも可能だが、怪我をする瞬間の痛みを消すことは出来ない。そして痛みに絶叫し精神集中が途切れ肉体の緊張が解ける瞬間こそ、異形が術師の生命を奪う絶好の機会なのだ。だから多くの術師は自らの鍛錬に多くの時間を費やし、戦いの中で生き残る術を模索する。  術師への報酬は確かに高い。しかし異形を相手にする限り、多くの術師は額以上の働きで依頼者を護り戦おうとするのだが。 「……貰う額の十倍以上の借金が雪達磨式に増えていくー」  駅近くのバーガーショップの片隅でサホは弱弱しい悲鳴を発した。煤まみれの制服はクリーニングに出したが無事に戻る保証などなく、三課が手配した何着もの予備制服に袖を通している。その予備とて既に十着を駄目にしており、その額を考えて更に滅入ってしまう。学校の制服というのは安売りしているようなものではないし、同じ制服がクローゼットに何着も収納されている現実は悪夢以外の何者でもない。  術師としての報酬は高額で、しかも事件が頻発する犬上市なら半年も仕事を続ければ借金を完済できるはずだった。しかし三課の斡旋で始めた術師の仕事も、事件に巻き込まれるたびに相当額の借金が膨らんでいく。  見かねた三課が紹介してくれたのが炎術師のベル・七枝だったが、何とこれが最悪の組合せだった。有望な新人と謳われた彼女はどういうわけかサホに異様なまでのライバル意識を持ち、今までのサホ以上に過激なやり方で仕事に臨んだ。その結果が港湾倉庫街の大火災である。 「術師の仕事って、もっと地味で陰惨として救いようないとばかり思ってた」 『普通はそうなんですけど』  向かいの席で申し訳無さそうに頭を下げるジンライ少年。 『ベル殿も、普段は生真面目で使命感に燃える優秀な術師なんです。任務達成率85%って、新人が叩き出せる数字じゃないし』  ちなみにサホ殿は15%くらいですとジンライ少年は真面目に答え、サホはトレーでジンライ少年の頭を叩く。その数字がどれほど絶望的な現実を示しているのかサホは理解しているから、デリカシーのないジンライの発言に大人気ない対応をしてしまう。 「その将来有望なエリート様が、どーしてあたしの仕事の足を引っ張るのよ」 『そりゃぁ、まあ』  果たして言って良いものかと迷い、ジンライ少年の視線が宙を泳ぐ。隠せとも誤魔化せとも命じられていない事項なので、数秒で結論が出る。 『ベル殿は押しかけとはいえ文彦様の直弟子ですから』 「へえ」 『サホ殿って経緯と結果と理由と人間関係とか恋愛感情を全く抜きにして、同じクラスの生徒でなおかつ今まで色々ひどい目に遭ってた事もあって半ばどころか85%くらい同情的に文彦様に色々気遣われてるでしょ。そこがベル殿の気に入らないところみたいですよ』  表面上はまったく悪意なく、しかし説明的かつ棘だらけの台詞が流れるようにジンライの口から出た。とてもアドリブとは思えない長台詞にサホの目は細くなり、殺気を帯びる。 「つまり、あの娘は敵だと」 『サホ殿は文彦様に恋愛感情もっていないと言うし、ベル殿も純粋に師弟関係として文彦様のことを慕っているそうですから……誤解さえ何とかできれば仕事も上手くいきますよ』  あくまでもさわやかに。  天使のような笑みでジンライ少年は朗らかに答えた。  それが更なる悲喜劇の引き金となることを彼は理解していたが、彼の知ったことではなかったのかもしれない。