弁解が許されるのであれば、桐山沙穂はその女性に関する情報を知らなかった。  年齢不詳。  身長体重も非公開。  スリーサイズはもちろん、体脂肪率や全身の骨格写真も非公開。DNA情報と血液型、それから芸名と水着写真だけが書類には記入されていた。 「現代医学では治療不可能なほどの大怪我。本来であれば即死認定されても不思議ではなかったんです」  事情説明すべく、立ち会った医師が溜息を吐く。 「内臓の40%が圧潰、血液の30%が損失……無事だったのは左手の小指くらいでしたよ」  おそらくは後代にも語り継がれるであろう大規模な列車事故。重軽傷者の数は前代未聞でありながら、死者が一人も出なかったのは現場に優秀な術師が複数居合わせていたため。  他の術者が現場を知れば、驚いただろう。事故の原因は術師の関わる問題ではなく、また運転技術や列車の構造欠陥でもない。化け物でもテロでもない不幸な事故に巻き込まれても、術師には周囲の人間を保護し救助する義務はない。全員を救おうと努力したのは彼女の善意であり、無償の奉仕活動だった。能力の限界まで力を尽くしたとして、到底救い切れるものではない、それほどの惨状だったのだ。治癒魔術に長けていたのは彼女一人だけで、それが彼女の負担を増した……全員の命を取り留めたのだから、沙穂の技量は尋常ではない。それを無償で引き受けた。  多額の報酬を要求できる立場にありながら、である。 「魔術による身体再生を要求したのは、彼女と芸能事務所です。我々は魔術医療の問題点を書類にして提出していましたが」  まったく読まれていなかったようですね。  耳を押さえながら医師は呟く。 「自業自得ですよ」 「はあ」  マジックミラー越しに女性を見て、曖昧に頷く沙穂。その部屋にいる女性は、写真に添付された水着美女と同一人物ということになっていた。 「……全身改造、してたんですね」 「芸能週刊誌では、色々と噂されてはいましたね。本人は否定していましたけど、再生魔術ってのは外見に関する詳細情報がない限りは、遺伝情報を基に本来ある姿に復元するわけですから。美容整形を受けた人間は皮膚蘇生だって慎重にする必要があるんですよ、本来なら」  医師の言葉に、沙穂は手元の書類に視線を戻す。  手術や病歴に美容整形に関する情報は一切書かれていない。 「それで、どうします」  鏡の向こう側では、半狂乱になっている女性と事務所の人間がいる。魔術の力で、写真の姿に戻せと叫んでいるようだ。 「他の負傷者を優先しましょう」  先刻医師に渡された書類には、重要器官を損傷した多数の人間のデータが記されていた。二十数名というその負傷者は、近隣の腕利き医師を総動員してなお手が廻らない患者達である。  無論、これを拒む自由が彼女にはある。術師とは、化け物に対抗するためにその能力行使を国や国際機関に認められているのだから。医師も術師に対して治療を強要する権限を持たない。魔術治療が本格的に認められれば、それは生命倫理の定義から再構築しなければならない複雑な問題を引き起こすことを、医師も術師も理解しているからだ。ゆえに、治療魔術を使う術師の多くは医師資格を取得する傾向が多く、沙穂のように文系女子大生の身分で治療魔術を行使できる者は珍しい。 「あの事故に関わった者として、最後までお付き合いします」  女の絶叫を背に、沙穂は医師と共に負傷者の下へと急ぐことにした。  二十人目の負傷者を治療し、沙穂が犬上へと帰還した翌日。  件の病院で起こった殺人事件が地方新聞の片隅に載った。芸能事務所の関係者が身元不明の女性を屋上より突き落としたという記事は、一応は全国紙にも伝わった。が、全国各紙は芸能関係者の「例の女を呼んでくれ、今度こそ元通りに再生してくれ」という意味不明の自供と共に記事を封殺した。  影法師・桐山沙穂 癒しの業