十五章〜天狗星  碧色の流れ星。  文字通り大地を引き裂き火星大王の軍団を蹴散らし、ついでに堅固な砦の外壁を真っ二つにしたそれは羊飼いの青年ニコラス・ハワドの顔面に直撃し、そのまま反対側の壁までぶち抜いた。ニコラスを引っ掛けたまま突き抜けた流星は砦の反対側に陣取っていた火星大王の軍団を同じように蹴散らし、それから小高い丘に激突して巨大なクレーターを生み出し、とりあえず停止した。 『違う……停止ちがう』  クレーターの中心で、ほどよく芯まで焦げたものが抗議の声をあげつつ力尽きた。それはニコラスではなく樽魔人の一体で、途中で巻き込まれた火星大王数十体は分子結合を解かれて消滅したというのに、とりあえず死んではいないのが驚異的。 「むぬう変わり身の術」 「実に危ないところでした」  ニコラスの声は砦の外壁から。  より正確に言えば、全裸状態で硬直しているシュゼッタの横。避けた様子もない。 『名付けるなら、そう、蒼き流星キック』 「メロスのように砕け散れ!」  復活しかけた足下の樽魔人の呟きに、文彦は問答無用でその顔面を踏み砕く。その勢いで足下のクレーターが更に拡大するが、樽魔人の顔面は瞬時に再生を果たす。一方で、砕けた火星大王は復元しない。 「影法師、貴方に幾つか質問があります」 「三つだけ答える」  ニコラスの呼び声に、文彦はぶっきらぼうに答えた。声どころか相手の姿さえ肉眼で確認するのも難しい距離だというのに、二人の会話はその場にいる全ての知性体が理解できた。 「ひとつめ。獣の王を招来する手段、残ってますか」 「あったとしても使いたくない」  つまりは否定。魔法猫や魔族たちが絶望めいた表情となる。しかしニコラスはにこにこと笑顔を崩さず、満足そうに次の問いを口にした。 「ふたつめ。貴方の嫁を剥いたこと、怒ってますか」 「このデクノボー共をぶっ飛ばしてから考える」  木偶の坊と呼びながら、文彦は周囲に集まりだした火星大王の軍団を見た。キック一発で数十体を蹴り砕いたのは良かったが、文字通り大地を埋め尽くす巨大な火星大王の数は圧倒的だ。神格を下げてでも絶対的な優位性を失いたくなかったのか、彼等は自身の御魂を分割して火星大王に宿らせていると文彦は判断した。なにしろ外見勝負だけで魔法猫や烏賊や鯖を無力化できるのだ、人間相手なら物量戦で十分と考えたとしても失策ではないだろう。  あくまで、人間という種族が常識の範疇でまっとうな存在であるという前提の上で成り立つ戦略だが。そう考えると羊飼いニコラスが呼び出された時点で神々もとい火星大王軍団の戦略は瓦解していたことになる。 「みっつめ」  視線がニコラスと文彦に集中する。 「貴方は、碧帝と呼ばれるものですか」 「さあ」  何かを諦めるように文彦は空を仰ぎ、空に次々と生まれる光輝を見出した後に息を吐く。  凛。  文彦の前に現れるのは青銅にも似た輝きの、ふたつの武具。古式両刃の剣と逆鉾は見てそれと分かる魔力を放出しながら文彦の目の前で融合し、一振りの長大な剣となってその手に握られる。身の丈より長い刀身を担ぐように構える文彦の周囲に、現れた時のような碧色の輝きが生まれた。 「まあ、赤じゃあねえな」  凛。  文彦の周囲で爆発が生じた。虚空より現れた数百数千の光輝が流れ星となり天を突き抜け大地に激突したのである。  凛。  流星とともに現れた莫大な魔力はそのまま破壊の鎚となって火星大王の軍団を襲い、星の数に倍する火星大王が砕け散った。回避しようにも倒れる隙間さえ確保するのが難しい火星大王は逃れることなどできず、また弾丸より速く降る星を避けるなど火星大王の構造では無理である。  文字通りの爆発。  凛。  眼前で起こる光景に驚く文彦、これは彼も予想していなかった事態らしく、砦の周囲に簡易結界を張り巡らせるのが精一杯だった。  爆風そのものは火星大王の巨体を宙に浮かせるが、破壊には至らない。が、降下により破壊された火星大王は、これまで人形兵器を用いて倒した数に匹敵する。突撃の用意をしていた砦の騎兵達も外の台轟音に驚き外壁の櫓に現れ、土煙の下にあるべき影を捜そうとする。  凛。  全長三十メートルに達する火星大王の頭上さえ覆い隠すほどの土煙が、地面からの突風によって吹き飛ぶ。一つひとつの風は渦を巻き、渦は風の柱となって天地を結ぶ。  凛。  文彦の左右に現れる、風と雷。それぞれの力をまとった二人の少女がそこにいる。子供向けの特撮番組かはたまた特殊なプレイなのか、紺のブレザーに灰色のスカートといった制服の上に猛禽と狼、それぞれの異形をプロテクターのように装着していた。 『我は東方魔界の王に仕えし、紅きハヤテ!』 『同じく、碧きジンライ!』  文彦の使い魔と融合を果たしたベル七枝と桐山沙穂は、増幅された魔力を全身に巡らせながら攻撃態勢をとる。他の流れ星も同様に、石杜学園の制服に身を包んだ男女や、明らかに人間ではない者たちが現れる。 『我等、東方魔界の三氏族』 『旧き約定と血と魂の盟約により、新たなる王の矛となり盾となり戦う所存』 『さあさあさあ、破壊の宴を今!』 「ていっ」  勝手に盛り上がるベルたちの後頭部に、呪符を束ねて作った文彦のハリセンが炸裂する。文字通り鬼神の形相の文彦にたじろぐのはベル達だけではない。破壊を免れた火星大王の軍団も、文彦の視線に呑まれたのか動けずにいる。 「お前等――」 『お師匠様、答えられる質問は三つまでです』  後頭部を押さえたベルが涙目で呻く。 「どうやって来た」 『華門さまが、学園の空を強引にぶち抜いてくれまして。最短距離を進んだので、先客を追い越しましたっす』 「赤帝武装が見当たらないが」 『あの娘たち華門様を待ちきれずに次元の壁に突っ込んだので、たぶん百年近く後に来ます』 「……此処に来た目的は」 『出歯亀にも飽きたっす』  沈黙が生じた。  痛いほどの沈黙だ。虚空の彼方で遭遇した獣の王と近しいメンタリティがそうさせるのか、ベルの言葉に一切の悪気はない。この場において文彦にもっとも同情的だったのは至近の火星大王であり、その次が砦にいるニコラスだった。その他の連中はシュゼッタと同様に思考が半ば停止しており、突如降って来た闖入者たちが敵か味方かすら判断できずにいる。 「碧き、魔王か」 『お師匠様?』 「覗いていたのなら事情の説明は要らねえな」  凛。  因素の大剣を地面に突き刺し、文彦が唸る。 「いいだろう、我らは赤帝と共に夷敵を討つ者なり」  凛。  文彦の言葉と共に、彼等は頷き武器を構え直す。 「此方半分は、任せた。殻を砕いて中身を剥きだしにしろ」 『でっかいカニっすね』 「喰うなよ」 『承知』  凛。  硬く澄んだ鈴の音と共に、東方魔界の住人千五百鬼と学園生徒精鋭七百が八方に散る。魔力に包まれた彼等の動きは流星そのものである。火星大王達はその場より逃れようと足下の火星ロケットを噴射しようとするが、成層圏を突破できるはずの推力をもってしてもその巨体はびくともしない。垂直方向だけではない、前後左右にすら動くことは叶わず、その時になって初めて彼らは足下に伸びる影が蔦のように絡み付いて呪縛を受けていることを理解した。普段ならば直ぐに気付くが、火星大王の身体では勝手が違う。  しまったと火星大王の中身が思うよりも早く。  蒼い魔力の光を帯びた流星たちは大地を駆け回り破壊の嵐を生み出した。  気が付くと、シュゼッタの前に文彦がいた。 「ただいま」  今度こそニコラスの顔面に拳を叩き込み、きっちり吹き飛んだのを確認してから文彦はシュゼッタの身体を覆うように茜色の筒袖を着せる。蜻蛉と立矢模様に染めたそれは、シュゼッタの記憶を激しく揺さぶる。 「さっさと片付けて、飯にしよう」 『……私は、何もできないぞ』  硬直が解けて最初に出た言葉は、それだった。再開の喜びも驚きもなく、辛そうな表情と共にしぼり出した独白だった。 『私は、何もできなくなった。今も、これからも』 「全能に近い力を手に入れたから」 『そうだ』  これでは無能に等しいと自嘲するシュゼッタ。文彦は嘆息し、内懐より一掴みの髪の束を取り出した。それは養女であるアキラが決意と共に切り落としたもので、文彦はそれをシュゼッタの髪に重ねた。  凛。 「だったら、別の自分になればいい」  凛。  シュゼッタの若草色の髪が、真紅に変わる。悲しいほどに平坦だった彼女の胸にも膨らみが戻る。収束する魔力がシュゼッタの全身に鎧を生み出す、その意匠は赤帝武具に酷似している。 「君と一緒に戦おう」  凛。  文彦の身体に魔力が漲る。その手にある一振りの長大な剣、神剣黄泉比良坂と呼ばれる因素の武具は無尽蔵の魔力を文彦に供給している。 「君が赤帝となるなら、俺は碧き魔王となって君の力となる」  凛。  シュゼッタの手を握る文彦の身体が変化する。かつて彼女が指摘した、文彦の魔族としての真の姿を、彼は自身の意思で解放した。  彼女は、唐突に理解した。彼が使役する二体の異形、ハヤテとジンライは獣の王の眷属と呼ぶべき存在だった。彼等は何故、文彦に従っていたのか。何故、文彦は獣の王を招来する事ができたのか。  シュゼッタは見た。  狼の耳と尾。  猛禽の翼。  それは恐らく獣の王に関わったがゆえに与えられた異形の証なのだろう。人としての形は崩さず、しかし人とは明らかに異なる。その姿は滑稽なことだが、天狗と呼ばれる妖怪にも似ていた。 (ああ、だから文彦はこの姿になるのを嫌がっていたのか)  口元を押さえ片膝をつくシュゼッタ。指の間より噴出すように漏れ出すのはおびただしい量の血。ただし鼻から。  やべえ押し倒してえ。  犬耳尻尾をふりふりする文彦を見て、このまま失血死しても多分後悔しないとシュゼッタは半ば本気で考えていた。砦の外で戦っていたベルと沙穂も同様の事情で数秒ほど生死の境目を彷徨っていたが、そこに突っ込める者はもはや存在しなかった。  解放された魔力が風と雷を呼び、火星大王の軍団を蹂躙する。  純魔力の刃を帯びた因素の剣は一閃ごとに数十の火星大王を土塊に還す。真紅の輝きを帯びた無数の矢が、数珠状に伸びた雷の鎖が、虚無に至る破壊の風が、防御や攻撃の暇さえ与えずに火星大王達を吹き飛ばしていく。半壊したものは、城門より飛び出した騎兵隊の人形兵器が片付けていく。無数と思われた巨大な人形の軍団は見る間に崩壊した。赤帝碧帝とニコラスが呼んだ二人は砦を包囲していた軍団の半分を、面白いように蹴散らしていく。刃を受け止めようとしても無理、逃げようとしても影に捕らわれた巨体は身体は微動だにせず、反撃しようと討ちだした破壊光線は湾曲して虚空に消える。  まるで冗談のような光景だった。  これまでの劣勢は、悲壮な覚悟をもって砦に立てこもったのは、一体なんだったのか。ニコラスがシュゼッタの服を剥いてから僅か数分の出来事に皆は戸惑っていた。初めて目の当たりにする、文彦と赤帝の破壊劇。そして砦の反対側で繰り広げられているのは、文彦と同じく流星となって虚空より現れ、赤帝の同志として戦っている学園生徒と魔界三氏族の戦いである。  超電磁のドリルが飛ぶ。  灼熱のプラズマ剣が回転する。  空き地でリサイタルを開けそうな破滅の歌声が響く。  分子結合を解く神秘の輝きが放たれる。  緑色の亀が動く。  鉤爪を生やした獰猛なコアラが乱舞する。  バズーカより発射された黒猫の群が暴れまわる。  女子高生が恥かしげにスカートをたくし上げる。  その光景を見ていた魚介類の顔が一様に青ざめる。彼等をもってして非常識と思わせるほどに多彩で、なおかついい加減な宴会芸としか思えないような破壊技術の数々が披露されている。大半の技は、何が起こっているのかすら説明すら難しい。狐面の少女も荒てて外壁に身を乗り出して光景を目撃したが、宙を飛び交う半熟卵が火星大王を丸呑みにしながらオムライスになっていく光景を直視してしまい自我が崩壊しかけた。  あれは関わってはいけない。  というか、見てはいけない。  目撃する側ですらそうなのだから、当事者の一方たる火星大王が受けた衝撃たるや文字通り致死量に達しているに違いあるまい。  かくして神々の切り札とも言うべき偶像の軍団は、あっさりと敗退した。外殻を失った神々は本体をむき出しにした状態で地面に転がり、あるいはバラバラに砕けつつ必死に再構成しようとする。マノウォルトにはなれない。世界はそのように律を変えてしまったし、学園生徒の放つ攻撃は彼等の魔力を霧散させていた。  戦闘終結まで三分二十八秒。  ベル七枝のリストウォッチが所要時間を吐き出した。学園生徒としては別段珍しくない、しかしこのセップ島としては電撃的ともいうべき短期決着である。 「はい、残念でした」  崩れた火星大王より逃れた神々の一体、人としての形を辛うじて維持しているモノの前に立ち、ニコラスは静かな口調で告げた。 「起死回生の策も、これで御破算ですね。世界の外にいる貴方達のお仲間も、蹴散らされたみたいです」 『獣の王、か』 「いいえ」  内緒話をするように、ニコラスは指を口に当てて囁く。火星大王は全て倒れたが、人形兵器を手にした騎兵達は残存勢力に備えて周囲を駆け回っていた。彼等の判断は決して間違ってはいない、現に火星大王という外殻を失ったものの神々はその本質を崩しておらず、この場より逃れることができれば十年百年という時間をかけて力を蓄え逆襲に転じることも決して不可能ではないからだ。  ニコラスは、それを理解していた。  彼は空を見上げ、南天より新たな光輝が現れたのを見て満足そうに頷いた。 「貴方達がかつて滅ぼしかけて、世界の果てで変異を迎えた力あるものたちです。彼等が帰還しました」 『――なんだと?』  凛。  三度目の流星が、セップ島の大地に降り注いだ。  その流星雨は、眩い光を放ち轟音と共にやってきた。  大気そのものが押し潰されるような圧迫感が砦を含む平原全体を襲うが、大地に突き刺さる衝撃や土煙は生じない。  凛。  視界を白く染める光の激しさは僅かに一瞬、光と音は唐突に現れ、唐突に消える。圧倒的な光の圧力が空気の流れさえ止めてしまったのか、光が途切れた後に訪れたのは不気味なほどの静寂だった。閃光に目蓋を閉じていた砦の者達は、まず地面を見る。そこにいるのは学園生徒や騎兵たちであり、彼等はどういうわけか緊張した面持ちで空を見上げている。彼等の視線を追うようにして空を見上げた者たちは、目撃した。  空を埋め尽くす金鉄の巨獣たち。  数百数千を越えるそれらは、ひとつひとつが火星大王よりも大きい。羽ばたきもせず宙に浮く巨獣の一群は火星大王の残骸を一瞥し、そこから逃げ出そうとして失敗した神々とその前にいるニコラスの周囲に降り立った。学園生徒たちはぎょっとして金鉄の獣を見上げるが、彼等への敵意はなく、むしろ機械的ですらある彼らの美しさに呑まれていた。 「おかえりなさい」  最初に言ったのはニコラスである。懐かしむように、旧友を出迎えるように彼は声をかけた。 『汝は我等を知っているのか』  驚いたように返す金鉄の言葉は、魔族ですら忘却した旧い時代の言葉である。ニコラスもまた、同じ言葉で返す。 「ええ、貴方達がかつて何者だったのかも知っています」 『我等が恐ろしくないのか』 「もし貴方たちと戦うのなら、それは恐ろしいでしょうね」  凛。  ニコラスの周りに、金毛の羊たちが集まった。羊たちはその口に神々の残骸をくわえている。ニコラスの命により戦場を駆け回り、火星大王の残骸を蹴散らして回収していたのだ。弱弱しく蛍光を発するだけの鶏卵ほどの球体が、火星大王という殻を失った後の神性本体である。もはや人としての形すら保つことができずにいるが、セップ島の豊かな魔力があれば時間をかけて復活することも難しくはない。 『それを、どうするつもりだね』  穏やかな口調ではあるが、神々への敵意を隠すことなく巨獣は訊ねる。 「封じます」  穏やかな口調ではあるが、巨獣の持つ憎悪を軽く流してニコラスは返す。人も魔も獣達も、そこにいる全ての視線がニコラスに向けられる。言葉はわからずとも、憎悪と殺意が巨獣たちより放たれているのでは無理もない。学園生徒も万が一の事態に備えてはいるが、巨獣の一斉攻撃より砦を守れるとは思っていない。 『滅ぼさずにか』 「ええ」 『君が封じるのか』  さあ。  という顔でニコラスは獣を見る。僕はそんなのできませんよと否定する。では他の術師達が行うのかとも問うが、ニコラスはやはり否定する。 「力任せに封じ込めても、力任せに出てきちゃいますから」  しょっぱい顔でニコラスは球体をかき集め、一つの大きな塊に握る。すると塊にファスナーが現れたので、ニコラスはこれを一気に引きおろした。中から現れたのは燕尾服を着てシルクハットを頭に載せた小さなカエルの人形で、ニコラスはカエル人形を巨獣の一体に差し出した。 「こういうやり方は、お嫌いですか?」 『悪くない』  巨獣はにやりと笑い、鉤爪の先にカエル人形の服を引っ掛けて吊り下げる。 『感謝しよう、この世界は強くなった』 「これから、どうしますか」 『然るべき場所に、然るべき形で。今の我等には名前すら存在しない――さらばだ、強き者達よ』  巨獣たちが少しずつ上昇する。羽ばたくこともなく高度を上げ、大地を一瞥すると再び流れ星となって空に昇って消えた。 「さようなら、竜の一族。いつか雷王の郷で再会しましょう」  彼等の消えた虚空の一点を見つめながら、ニコラスは誰にも聞こえない程の小さな声でこう呟いた。  羊飼いの青年ニコラスが戦闘の終結を告げたのは、それから直ぐのことだった。 「それじゃ、僕はこの辺で」  上から伸びてきた紐を引っ張ると、足元の地面に穴が空く。ニコラスはそのまま奈落に飛び込んで姿を消した。 『状況説明も一切なしであるか』 「下手に語れば歴史が変わりそうだしな」  魔法猫の王ファルカの呟きに、文彦が自身の推測を述べる。 「なにしろ時間軸が安定してないわけだし。最後に現れた連中は更なる過去に突撃していったもんな」  魔族としての器官を開放しているためか、普段よりも鋭敏になった文彦の感覚が彼等の不在を感知している。 「別の時間に突っ込んだのか、それとも別世界か」 『再会できるのであるかね』 「心がけ次第だろ」 『ふうん』  戦後処理の面倒なところを大臣猫に押し付けた魔法猫ファルカは、魚の干物を頭よりかじりながら適当に相槌を打った。 『それで邪悪生命体はどうするのかね』 「向こうの生活とか諸々片付けて、それから考える」 『なるほど』  魔法猫は感心したように何度も頷き、それからさりげなく視線を動かした。  そこでは 『ちょっと待って、私たちの仲を認めたんじゃないのか』 「犬耳尻尾は別腹」 「お師匠の本当の姿を知った以上、これまでの見識を改めないといけないっす」 『私は嫁宣言されたんだぞ!』 「村上君は未成年だから、発言自体に何の拘束力もないわよ」 「やっぱお師匠様の子種を大量に残す計画の実行を本気で考えるっすよ」  醜い争いが始まっていた。 『なあ邪悪生命体よ、お主少しは身辺整理をやっといたほうが……』  と言いかけて。  既に文彦が姿を消していたことに気付いた王ファルカは深く深く嘆息し、しばらくの間は彼女たちに事実を伝えずにおくことを決めた。