少女の目の前で戦いが始まろうとしていた。  旅人クロルと、小規模の城塞都市ならば壊滅できるであろう機甲兵二名を擁する奴隷商人の陸船。両者の邂逅は少女の存在あってのことだが、この戦いは彼女の意思や価値とは無関係である。  その場にいる義理は、少女にはない。  少女にとって憎悪の対象は、彼女の身を穢したアポロジアの騎士である。戦争という行為自体が悲劇ではあるが、非戦闘員であり自衛のための武装さえ解いていた集落を蹂躙した男の顔は、今でも少女の脳裏に焼き付いている。復讐するならば、かの男に対してである。  奴隷商は、少女に対しては何もしなかった。引き取られたその日の夜に脱走したのだから、何かをされる暇もなかったというのが正しい。アポロジアでもよほどの階級でなければ所有できない陸船を動かしている奴隷商だから、胡散臭くはあった。できることならば関わり合いたくないとも。  ではこの状況は少女が原因だろうか?  しばし考え、即座にそれを否定した。奴隷商、いや今ではその身分も疑わしい女は、クロルという男に対して興味を持っている。その上で値踏みするべく機甲兵を繰り出し実力を測ろうとしているのだ。 (……たぶん、私はあまり関係ないよね)  当たり前のことを再確認しつつ、少女はその場に居残ったことを後悔した。      IV 機甲兵      人間は最強の生物ではない。  翼も鱗も持たず、渇きにも冷気にも弱い身体。生身で戦えば飢えた野犬にも勝てず、折れた枝や割れた石が容易に皮膚を破り肉を刺し骨を砕く。まこと人間とは脆弱にできており、そのままでいれな野山に住まう猛獣巨獣の餌となるしかない。  それに抗うため人は二つの手段を獲得した。  すなわち道具の創造と技術の発達である。肉体的に劣るが故に向上する必要に迫られていた人類は、様々な方法で知識を貪欲に吸収し、現在まで生きてきた。機甲兵は、そんな人類が生み出してきた「盾と矛」のひとつの結晶である。 「おとなしく武装解除されよ」  機甲兵の一人が大槍を構えつつクロルに迫る。その声は女性のものであり、重甲冑より一回り大きなそれから聞こえてくるには少々違和感があった。繊維状に加工した金鉄と魔力の組み合わせにより巨獣を超える筋力を発揮するとはいえ機甲兵は身体に極度の負荷をかける兵装であり、公的には女性を厚遇している聖アポロジアあたりでは女性が使用するのを禁じているほどだ。 「貴公が『島』に縁ある人間だとしても、それが即座にアポロジアの敵として判断される理由にはならぬ。しかし、そこな娘を庇護し連れて行こうとする行為は何らかの目的があってのことと見受けする……貴公は彼女が何者かわかっていて身請けされようというのか」  機甲兵の言葉は威圧的だが丁寧な口調だ。話し方というのは必ずしも生まれに縛られるものではないが、形式を踏まえた喋りというのは何らかの訓練を受けねば身につかない。そして機甲兵の会話は紛れもなく公的な組織に属した者が教わる話法であり、徹底した訓練を受けていたために何気ないつもりの話でさえその癖がにじみ出ていた。  もとより嘘を吐くのが苦手そうな人物には違いあるまい。  クロルは腰に差していた大型のナイフを鞘ごと引き抜いて後方に捨て、両袖より仕込んでいた投擲ナイフもまた落とした。 「外せる武器は、この程度か」  正直にクロルは言い、それから両腕を上げた。降伏の仕草ではなく、指先にまで力がこめられているのがわかる。 「ベリアル」 『はいな』  騎竜は短く頷くと少女を背に乗せたまま大きく後方に跳躍する。筋力と瞬発力に優れる機甲兵さえ即座には反応出来ない動きに、兵はもちろん陸船の御者台にいる奴隷商の女も驚く。 「陸船ごと退け、弾が来るぞ!」  クロルが叫び最上段から剣を振るように腕を勢いをつけて振り下ろす。それだけで突風が生じ衝撃波が機甲兵を砂塵ごと陸船へと叩きつける。地に浮く陸船は錨を下ろしていたとはいえ勢いよく衝突した機甲兵のために少しばかりの距離を回転するように流れる。鎧牛がそれに引きずられて悲鳴を上げるのは、クロルの「技」が尋常ではない証拠である。御者台より振り落とされぬよう底板にしがみつきながら悪態吐いた女が見上げれば。  轟。  荒野の土くれと岩塊を撒き散らしながら、クロルのいた場所の地面が吹き飛んだ。大量の炸薬を仕込んだ砲弾が炸裂したのだと理解したのは、直後に上空から唸り声を上げながら降ってきた巨大な筒状の飛行船を見てからだ。 「……帝国籍の空軍かい」  忌々しそうに女は飛行船をみて呻く。  星の樹を内部に大量に埋め込み、外壁に大量の鋼板を仕込んだ甲式飛行船は、アポロジア連合の中でも試作色の強い航空兵装のひとつである。圧倒的な浮力を有する巨大飛行船は陸船より効率的に兵士や武装を搬送する手段として前々より研究が進み、試作の度に巨大化していった。いま降下している瓶型のそれは女の陸船の倍に迫る大きさで、ハリネズミのように火薬式の大砲を伸ばしている。積荷が十分であれば単艦で小国程度なら攻め滅ぼせるであろう飛行船は、数箇所よりフックつきの鎖を大砲の火薬を用いて地面に打ち込んで強引に着陸しようとする。  空軍と呼べば聞こえはいいが、試作品を乗り回す飛行船乗りたちは海賊並に気性が荒く、飛行船は便宜上私掠船として扱われる場合が多い。そしてこの現状を見るに、いま着陸しようとしている飛行船に紳士的な振る舞いを期待するのは無意味に等しい。  クロルが弾き飛ばさなければ機甲兵はもちろん奴隷商の陸船も砲弾の衝撃波に巻き込まれ、降下した飛行船に押しつぶされていただろう。そのクロルの姿は見えないが、着弾の場所に立っていた彼が無事だとは到底思えない。  思えないのだが。 「船は方向を維持しつつ全速後退、機甲兵は20だけ時間を稼げ。後部甲板から石兵準備と共に、非戦闘員の脱出準備も進めろ!」  着陸して安定するまで飛行船は自慢の兵装である大砲を使うことはできない。装甲に仕込んでいる星の樹の浮力が強すぎるため、大砲の反動を相殺しきれず回転してしまうのだ。とはいえ姿勢制御のための多脚錨は次々と撃ち込まれており、逃げるにしても攻めるにしてもそれほどの時間が残されているわけではない。