『虹の果て』  あるとき、一人の若者が虹の根元にたどり着いた。  願って至った訳ではなく、雨に濡れぬよう駆けて、気がつけば彼は虹の根元に至っていた。地より柱の如く湧き出る虹の柱に、若者はただただ驚いた。 「これは……すごい」  生まれて初めて見る光景に、若者は声を震わせた。光の柱の下では全てが輝いている。草も木も、石や花までもが七色の光を帯びて、それはどれだけの時間が過ぎても決して褪せたりはしない。その美しさに若者は、思わず虹の中に飛び込もうとした。  すると。 『触れてはいけません』  虹の中に一人の娘がいた。全てが七色に輝く虹の中で、娘だけが白と黒の二色であった。 『触れれば光に囚われてしまいます』  悲しそうに、彩を失った娘は若者に言った。驚き言葉を失う若者の目の前で虹は宙に溶け、七色の輝きに包まれた全てと彩りの失った娘は虹と共にその姿を消した。若者はしばし呆然とし、だがしかし一つの決意を胸にした。  旅人のニコラスがその若者に出会ったのは、やはり雨の日だった。  二日続いた雨のため地面はぬかるみ、駅馬車は随分と遅れていた。遠くの街に出かけようとしていたニコラスと半妖の娘は、馬車駅の待合室にいる若者の姿を見て声をかけた。 「やあ」  馬鹿馬鹿しいほど爽やかに、ニコラスは声をかけた。若者は、随分とくたびれた旅装束に身を包み、身体も髪も薄汚れた印象がある。それなのに目だけが猛禽のように鋭く光っている。若者はニコラスを見て僅かに頭を下げ、そして視線を外した。  会話することに意義はない、そう言いたげであった。  半妖の娘はむっとしたが、上体を動かしかけたところでニコラスに制される。その様子を見ても若者は眉一つ動かさない。代わりにこんなことを口にした。 「虹の根元には、娘が閉じ込められている」  何気なく、あっさりとニコラスは言った。若者は跳ねるように顔を上げ、掴みかかるようにニコラスに迫る。それでもニコラスは驚きもせず、静かに若者を見た。 「虹に彩を与えるために、自分の色を失った娘が閉じ込められていると」  古い本には書かれている。  大きく目を開いた若者は、その先を教えてくれと懇願する。 「知ってどうする?」  若者の瞳に虹の輝きが宿っていた。  半妖の娘は驚きこそしなかったが、僅かに息を呑み咽を鳴らす。 「娘を助けたいのかい」 「理由はない」  だがそうせずにはいられない、若者は呻く。ニコラスは鞄より洗いさらした亜麻布を取り出し、若者に渡した。何の色も染めず、模様もない布は虹の彩と正反対のものだった。 「無地の布は彩を吸う」  そう言った時だ。  雨脚が途絶え、雲間に光が差す。空に虹が生まれるのを見ると、若者は亜麻布を持ったまま駆け出して消えた。  ややあって半妖の娘が口を開いた。 「……続きがあるのだろう」 「うん」  ニコラスは頷いた。 「面白くない言い伝えがあるんだ」 「なぜ言ってやらなかったのだ?」  しばしの間が開いた。 「何でだろうね」  至極真顔でニコラスは首を傾げた。  若者の行方を知るものはいない。  数年後。遠い異国の地で虹が消えたという不可思議な話が伝わるが、それはもはやセップ島とは関係のない物語である。