『にがい話』  あるとき魔法学舎の生徒ニコラスは、色々と厄介なる立場にあった。  たとえば貴族の子弟でも魔術師の血族でもないニコラスが学舎に招かれたこと自体が異例のことであり、それに疑問を呈するものが少なくなかった。また決して安くはない学舎の諸経費や都での生活費について、不明なる事柄が実に多かった。  王族の落胤。  そう噂するものもいる。ある意味それは実に的確な意見だったが、それは面倒なる国交問題や貴族社会の権謀術数の副産物であり、ニコラス少年の本質とは無縁の代物だった。むしろニコラスにとって厄介なのは、彼にその素質がないにもかかわらず魔法学舎の生徒となってしまったことであり、周囲が実に世話焼きで親切だったことである。 「古文書読んでいるだけでは魔法は使えないぞ、ニコラス!」  さわやか優等生のフランツ青年は、授業を脱走しようとするニコラスを捕まえては教室に引きずり込むのを日課としていた。魔法の実技に関しては壊滅的なニコラスだが、魔法の理論については人並みの成績を示し、これが正式カリキュラムではない『古代史』や『古代文字』の類ともなれば圧倒的なまでの積極性と成績を修めていた。ニコラス本人としてはそういう偏りをもって「自分には魔法の素質は無い」と主張したかったところなのだが、 「バランスよく情熱を配分すれば、ニコラスも必ず魔法を使えるはずだ」  はっはっはっは。  フランツはそんなニコラスの主張など興味も示さず、ニコラスを引きずり回すのである。基本的に善人であり悪意がまるでないフランツを、ニコラスは嫌ってはいない。が、やはり人には得て不得手があり、自分には魔法使いの素質が基本的に存在しないとニコラスは考えていた。 「……無理というか、無謀じゃないのかな」  複雑なる図形を組み合わせた大理石のテーブルを前に、ニコラスは頭を抱えていた。そこは魔法使うための実技室であり、多重の結界が張り巡らされている。現在それはニコラスに対して発揮されており、どう頑張っても逃げ出せないことを彼は理解していた。 「私が思うに、危機を感じると秘められた魔法の才能が発揮するタイプではないのかな」 「そんな都合のいい才能なんて、僕には無いってば」 「はっはっは、謙遜することはないぞニコラス」  大理石のテーブルの上には、凶悪なる魔物が封じられている。  まじないの言葉で身動きを封じられた魔物は、まじないの言葉によって操ることができるのだ。逆に言えば、まじない言葉を使えなければせっかく封じられた魔物は解き放たれてしまうのである。 「ニコラス! 我々同級生十八名の命、君に預けよう!」  歓声が上がる。  共に魔法を学ぶ学舎の生徒が、ニコラスを信じて応援の言葉を次々に発する。  フランツが言うには、今までどれほど才能がないと思われていた者も、この『特訓』を経験することで一気に魔法の力に覚醒してきたらしい。勇気友情努力を掲げて日々鍛錬するフランツの言葉がどれほどニコラスに適用されるのかは疑問だったが、残念ながらその場でその疑問を思いつけたのは当のニコラスしかいなかった。 「ニコラス、私は君を信じているぞ。君の中に眠っている不思議パワーは、君自身と君の大切な人たちが危機に陥ったときに宇宙開闢にも匹敵する正義情熱のエナジーとなって発揮されるはずなのだ!」 「魔法使いというのは、理詰め理詰めで術を完成させるんだよなあ」  ジト目ニコラスの突っ込みに、フランツは笑顔のまま指を鳴らす。大理石に刻まれていた図形が消滅し、そこに封じられていた魔物は大きく口を開くとニコラスを丸呑みしてしまった。  ぺろり。 「……食べられちゃったわね、ニコラス」  呆然とした女生徒の言葉。 「ニコラス? そんな生徒知らないな」  ひどく爽やかな笑顔でフランツはそう答えたという。  ニコラスが意識を取り戻すと、そこは魔物の胃袋ではなく『法廷』だった。裁判官は魔物、検事も魔物、傍聴席を埋め尽くすのもやはり魔物。魔物たちはどれも恐ろしい仮面のような顔つきで、それを除けば人間と大差ない容姿だった。弁護席は空っぽで、被告席にニコラスは座っていた。 (……法廷?)  実際にそれを見たのは初めてだというのに、ニコラスはそれが法廷であることを理解した。自分は被告であり、罪を問われる立場にある。分からないのはその罪状であり、その根拠だ。 「僕は何をしでかしたのかな」 『魔法使いとして無能であること』  裁判官が短く告げた。 『低級の使い魔さえ制御できず丸呑みされてしまったのが被告ニコラス・ハワド起訴の理由である』 「つまり、魔法使い失格の烙印を押すための裁判」  その通りだと裁判官は答える。 『我々のような魔物にとって、契約を結ぶ魔法使いの優劣は死活問題である。わずかでも才能の目があれば様々なサポートを行い協力していくことも出来るが、被告ニコラス・ハワドはまじない言葉も扱えず最初歩の魔法さえ全く使えない』  分厚い書類を開き、検事が魔法学舎における数々の事例を取り上げて、ニコラスが魔法使いとして如何に無能であるのかを告げる。自分達の将来もかかっているため、その査定基準は極めて厳しいが、基本的に客観的な評価だとニコラスは感じた。 『被告ニコラス・ハワド、異議ないし質問があれば発言を許可しよう』  検事の言葉が終わって後、裁判官はそう言った。ニコラスは、彼ら魔物がいかなる法に基づいてこの裁判を行っているのか教えて欲しいと尋ねた。 「僕を裁くのは魔物の法か、それとも人の法か」 『古の時代、始祖の魔物女王と伝説の魔法使い達が交わした約定が被告を裁く法である』  裁判官の言葉と共に、ニコラスの前に古い言葉が刻まれた銅版が現れる。学舎の導師でさえ今では文面を理解できないと検事は嘆き、裁判官はそれに同意するかのように頷いた。ニコラスはというと銅版に刻まれた文字の綴りを目で追い、ある一箇所で視線を止めるとそれを口にした。 「えーと、【きゅーん☆ ご主人様ぁ、ルルはご主人様を想うだけで切なくてぇ、毎晩毎晩イケナイ気分になってしまいま……】」 『わーっ、わーっ、わーっ!』  その場にいた魔物の全てが耳鼻の穴より血を噴き出した。ニコラスは音読を止め、ぐるりと辺りを見渡した。 「これのどの辺が僕を裁く基準になるのさ?」  どうやらしっかり読めるらしいニコラスの言葉に、魔物の検事も裁判官も唖然とする。 『学舎の長にも読めなかった文面を理解しているのか』 「読めたら不都合ありそうな事書いてあるよね、本当にこんなのが僕を裁く基準なのかい?」 『もちろん、これは我々魔物と魔法使いの関係を考える上での基準であるからして』  しどろもどろになりながらも必死に弁解しようとする裁判官。ニコラスは構わず銅版の続きを読み上げた。 「あのー、【ご主人様と夜を過ごす時は裸エプロン、靴下は片方だけ】という文面は一体何の基準に?」 『わーっ、わーっ、わーっ』  両耳に手を当てて、裁判官は叫ぶしかなかった。  そこは、もはや人の訪れることのない都市だった。  作り物の空に、作り物の草花。空気に濁りも澱みもないが、それは明らかに異質の匂いを含んでいた。香木を焚いたような匂いだとニコラスは感じたが、それを確かめるすべはない。分かるのはそこが『閉じられた都市』のひとつであり、道や建物に厚く積もった埃にはニコラスと魔物以外の足跡は無い。 『裁判の結果、被告ニコラス・ハワドを人類未踏の遺跡へ放逐することを決定した』  水も無い。  食料も無い。  着の身着のままのニコラスは護身用の短剣さえ持たされず、その遺跡に立っていた。ニコラスは肩と膝を小刻みに震わせ、その瞳は焦点が合っていなかった。彼を遺跡に移送した魔物はニコラスが恐怖のあまり正常なる意識を失っているものと考え、必要なものがあれば少しばかり手配しようと申し出た。 『自決用の短剣か、それとも毒薬を手配しようか?』 「手帳とペンを」  上ずった声でニコラス。魔物は遺書でも残すのだろうと思い、上等な革で装丁した手帳と水牛の骨を軸にした硬筆を取り出して渡す。地に住まう小人達が造ったのだろう真鍮を削った精緻な筆先は滑らかな書き味で、ニコラスはすらすらと手帳に複雑なる図形と文字を組み合わせたものを書き記した。 『遺書ではないようだな』  魔物は興味深そうに手帳の中を覗きこむ。魔物も知らない古い文字で何事か書かれているのは分かるのだが、その意味するところは魔物の理解を超えていた。 『後学のために訊きたいのだが、これは何だね?』 「歯車王朝中期に発達した【法円魔法】の図案」  天井を指差してニコラスは答える。見れば作り物の空の果て、ドーム状の天井には手帳とまったく同じ図案が書き込まれていた。ニコラスの書き込みは実に正確で、位置や大きさなどの細かな情報まで別の頁に書き込まれている。 「まじない言葉を使わなかった、へそ曲がりな小人達が考案したって言われてる」  百年足らずで廃れてしまったマイナーな魔法だから、学舎では存在自体が疑問視されている代物だ。まじない言葉を絶対視する導師たちは迷信とか民間伝承に過ぎないと断じ、学舎の図書館にも十分な資料が揃っていない。 「これ、ものすごい発見だよ」 『物凄いかもしれないが、君は生還する気なのか』  恐怖ではなく興奮で身体を震わせていたニコラスの言葉に、魔物は呆れる。人類未踏の遺跡に放逐するというのは、死刑宣告にも等しい。まして生活していく上で必要な最低限の道具も食糧さえ無いというのに、ニコラスは新発見への驚きはあったものの不安や焦燥というものは一切感じられなかった。 『君はとことん楽天家なのかね』 「楽天家かどうかは知らないけど」  天井の図案を模写し終えたニコラスは、既に別の模写を始めていた。それは彼ら二人が立っている都市中心部の広間に立つ大きな看板で、そこには至極当たり前のものが描かれていた。 『都市の、内部図?』 「出入り口は東西南北に四箇所、災害時の緊急非難口が各所多数。【地震や火山噴火、大規模な地殻変動や洪水にも対応できる安心設計】と書かれているんだな、これが」  この種の都市では基本的だよねと感心するニコラスの隣で、対照的に魔物はがっくりと膝をついて力尽きていた。看板の埃を払い落とせば、この都市がいかなる場所に存在するのかという世界地図表記まで存在し、緯度経度の標示だよとニコラスが嬉しそうに声を上げる頃には、魔物は仮面のような恐ろしい顔を歪めて涙を流していた。 「さすが人類未踏の遺跡だけはあって、盗掘の被害にも遭っていないし建物の保存状況も完璧に近いよね」  生き生きと。  それはもう学舎でさえ見せたことがないほど充実した表情でニコラスは模写を続け手帳に系統立てた情報を書き込んでいく。その間も魔物はひたすら涙を滝のごとく流し続け、ニコラスが一通り書き込みを終えた頃には魔物が流す涙によって床に積もった埃が綺麗に洗い落とされていた。 『……これでは処罰の意味がないではないか』 「他にも人類未踏の遺跡があるだろうから、そこに放逐したら?」  慰めるように魔物の手を取るニコラス。  かくして。 「おおっ、これは妖精たちが築き上げたと古文書にある要塞」 『ええい! 別の遺跡だ、別の!』 「す、すごい。この種の環状列石が完全な形で(以下略)」 『次だ、次!』    ニコラスが絶望を抱くような遺跡を捜し求め、魔物は次々と人類未踏の遺跡を連れ回した。それこそがニコラスの目的だったのだと魔物が気付くのは、遺跡の数が百を超えた後だった。  ニコラスが魔物に飲み込まれて丁度一ヶ月が経過した。  なにしろ魔法実技の特訓中に魔物に飲み込まれてしまったわけで、いかにフランツが優等生で貴族の子弟であろうとも目撃者の全てを黙らせることは出来ない。事件の詳細はすぐさまに学舎上層部に伝わり、当然のように大問題となった。 「とりあえず魔物を呼び出し、状況を確認するのが先決でしょう」  裏金と親の権力を駆使して導師たちを買収したフランツは、とりあえず責任の追及をかわすことに成功した。確かに生徒の自主特訓をけしかけたのはフランツだったが、その行為自体は魔法学舎でも決して珍しくないものなので、導師たちも強くは言えなかったのだ。 「うまくいけば遺骨だけでも回収できるでしょうし」  既にニコラスはこの世にないと考えていたフランツと導師たちは、とにかく魔物を呼び出すことを考えた。まじない言葉を駆使した彼らの呼びかけに応じたのは、導師たちでさえはじめて見るような高位の魔物だった。 『ニコラス・ハワドは生きているぞ』  金鉄の鎧を身にまとった鬼面の如き形相の魔物は、そう答えた。導師が問うよりも、フランツが尋ねるよりも早く、開口一番に言ったのだ。これには最高位の導師までもが驚き、フランツは顎が外れるほど驚いた。 「生きて……いると」 『彼は無能なる魔法使いの弾劾裁判において検事・裁判官・聴衆含めて百十余名を再起不能にさせ、裁判そのものを台無しにさせた』  導師の数名が意識を失って倒れた。鬼面の魔物は『まあ無理もなかろう』と沈痛な面持ちで頷くと姿を消した。  ニコラスが生きていることは、その日の内に学舎中に伝わった。  生徒達の反応は様々で、学舎の恥さらしと考えるものが多かったが、魔物の世界に引き込まれてなお生きているニコラスに関心を示す生徒も少なくはなかった。魔法使いたちが使い魔として接している下級の魔物たちも、ニコラスのことを知っていた。 『歯車王朝の遺跡を発掘してますぜ』 『同僚の小魔物が環状列石の保全に借り出されて困っているんですよ』 『とても楽しそうに遺跡を発掘しているものだから、うちの上司は処罰の意味がないって嘆いているんです』  などなど。  直接ニコラスに出会った魔物、同僚に話を聞いた魔物。魔物たちは召喚主の求めに応じて自分達が知る限りの情報を提供する。魔物の話では、着の身着のまま遺跡に放り出されたニコラスはあっという間に生活のための道具を作り出し、食料を簡単に集めてしまうという。 『どうにかなりませんかね?』  と魔物は言う。魔物にしてみれば、自分達を恐れもせず平然と振舞うニコラスのことがよほど不気味なようで、召喚主に『あの小僧の弱みとか苦手なものなどに心当たりはないか』などと逆に尋ねられてしまう有様だった。とりあえずフランツをはじめとする優秀なる魔法使い達は、ニコラスに限らず人間が嫌がるであろう諸々のことを調べ上げては使い魔たちに伝えることにした。それらの嫌がらせはひどくえげつないものばかりで、それを聞いた魔物たちは『人間とはこれほど残虐な生き物だったのか』と驚き嘆いた。  次の一ヶ月が過ぎた。 「ニコラスは弱音を吐いたか? それとも既にこの世のものではないのか?」  思いつく限りの嫌がらせを伝授したフランツは、そろそろ結果が出た頃だと思い魔物を呼び出した。このとき彼の召喚に応じたのは紅狐の面を胸元に飾った美しい女性の魔物であり、金鉄の杖を担いで現れるとフランツが用意した魔封じの縛鎖をあっさりと破壊した。 『ニコラス殿は健在である。我々は魔物としての誇りあるゆえに、貴様が我々に伝授した非道なる振る舞いを実行することは出来なかったのだ』 「では魔物たちはニコラスに何もしていないというのか」 『我々は、我々の考えで行動している。ニコラス殿のことは任せて欲しい』  何故か頬を赤く染め、魔物は姿を消した。  半年が過ぎた。 「……何が起こったというのだ」  フランツは焦っていた。  ある日を境に、彼の呼びかけに応じる魔物がなくなった。どれほど複雑で高度なまじない言葉を唱えようと、蛍火程度の魔物も現れなくなったのだ。それはフランツだけの問題ではなく、学舎の生徒達は軒並み魔物との契約を一方的に打ち切られ、契約によって増幅していた魔法の力を大幅に減少させることになった。  事態を重く見た学舎の導師たちは力をあわせて何とか魔物を呼び出し事情を知ろうとした。三日三晩の儀式を行い、ようやく現れたのは金鉄の槍を持った獅子頭の騎士で、肩や腕に包帯が幾重にも巻きつけられ、そこから血がにじみ出ていた。 「何があったのだね」  導師の一人が声を震わせる。獅子頭の騎士は静かにこう言った。 『あんぎゃあ』 「あんぎゃあ?」 『命が惜しくば、その言葉を覚えておくといい。それと』  我らと再び契約を結ぶのなら、ニコラス様に直接言うことだ。  獅子頭の騎士は姿を消した。 「いま、なんと言いました?」「儂の聞き間違い出なければ……ニコラス   様、と」  魔物がそのように人間を呼ぶことなど聞いたことはない。導師たちは困惑しつつも、とにかくニコラスを捜し出すことが魔物との再契約に必要だと認識した。  が。  そもそも半分以上学舎の都合で人類未踏の遺跡に放逐された上、本人に帰還の意思がまるでないニコラスを見つけ出すのは至難の業だったという。  以来、魔法学舎の生徒は魔物との契約を交わすため、ニコラスを追い回すことになった。なお、遺跡探索や古典文学に関する授業が学舎で義務付けられたのは、効率よくニコラスと遭遇するための苦肉の策だと言われている。  また魔物たちとニコラスとの間で交わされたという新しい盟約について詳細を知るものはいないが、 『あんぎゃあ』  という謎の台詞に重大なる秘密が隠されていると、研究者は考えているそうな。