おさななじみ  日が沈む頃に降り始めた激しい雨は、ときおり窓ガラスを震わせるほどの雷を伴って雨粒を叩きつけている。  半分あけた雨戸には、湿り気を帯びた生暖かい風が飛び込んでくる。ねずみ色の空に紫色の筋が浮かぶのが面白いのか、俊明はベッドに背を預け座布団も敷かずに窓の外を眺めている。  手にあるのは、少しばかり奮発して買ったビールを満たした陶器のカップ。普段はそれほど酒を飲まないので、その日は会社帰りの酒屋でよく冷えたのを選んで買った。  先に帰宅していた俊明の姉が「相変わらず渋いチョイスよね」と瓶の中身を半分ほど持っていったが、もとより酒に強くない俊明としては飲まれぬ酒がぬるくなるよりはマシに思えた。肴は茹でた腸詰だが、今日みたいな夜には酒だけあれば十分だ。  雲を叩く雷鳴は、太鼓の音に良く似ている。なるほど雷様の想像図は良く出来たものだと、高校の頃に教科書で見た図柄を思い出して笑う。 「暗い」  気付けば卓袱台の向かいに、ずぶ濡れの女学生がいた。 「俊明にいちゃん、暗い」  俊明の姉から借りたのだろうバスタオルで頭を拭きながら、女学生が言う。消していた室内の灯りを点し、靴下を脱ぎ制服のスカーフを外し、上下のジッパーを下げるや制服を一気に脱ぎ捨てて古いジャージに着替える。俊明が高校の頃に使っていたジャージが、彼女のお気に入りだ。程よく着込まれているので肌触りがいいと、そんなことを言っていた覚えがある。  女学生は俊明の前で恥かしげもなく着替える。初めてのことではないし、下着よりすごい姿も赤ん坊の頃に何度か見た。小学校に入るくらいまでは、たまに一緒に風呂に入っていたはずだ。  もっとも照明を落とした薄暗い部屋の中では、時折稲光で身体のラインが浮かび上がる程度でしかない。 「暗いよにいちゃん、そんなんじゃ彼女できないよ」 「それを言うな双葉」 「だって本当のことじゃない」  双葉と呼ばれた女学生は、胡坐を描いて卓袱台の上のソーセージに手を伸ばす。スポーツバッグに突っ込んでいたのかペットボトルの炭酸水を取り出して、中身をあおる。 「仕事で嫌なことでもあったんでしょ」 「楽しい職場ではないなあ」 「へえ」  俊明の言葉に、意外そうな顔を見せる双葉。もっとも部屋が暗いので互いの表情など読み取れるはずもないが。 「嫌だったら辞めたらいいのに」 「楽しくないけど、嫌じゃないんだよ」 「ふーん」  二本目のソーセージに手を伸ばしつつ、双葉は俊明の横顔を見る。雨雲に走る雷を飽きもせずに眺めている二十代の男は、ほどよく脱力した姿勢でビールを口に含んでいる。普段は飲まない酒を無理に飲んでいるようにも見えるが、理由は双葉には分からない。 「にいちゃん、双葉のおっぱい触っていいから元気だしなよ」 「そういうのはボーイフレンドにやってもらいなさい」 「壺井君とは先月別れたよう」  ぴたりと俊明の身体が硬直する。 「……雨蔵って奴じゃなかったっけ?」 「それは前の前の彼氏。雨蔵君の後が都辺君で、その後が壺井君。いま庭古先輩に口説かれてる」  あっけらかんとした口調で双葉が言うので、危うく俊明はカップの中身をこぼしそうになった。慌ててビールを飲み干して乱暴に卓袱台に置くと、やや目の据わってない表情で幼馴染の女の子を正面から見た。 「恋愛は当事者同士の問題だからにいちゃんは双葉を信じているつもりだけど、少しは自重しなさい。小父さん達が知ったら泣くぞ」 「いやあそれほどでも」 「褒めてません」 「うん、わかった」  と。  双葉は卓袱台越しに身を乗り出して俊明の腕を掴むと自分の胸に押し当てた。固いような柔らかいような、程よく引き締まったそれでいて本能に訴えかけるような柔らかな異物感に俊明の酔いは一瞬で冷め、直後に双葉の背越しにカメラのフラッシュが二度三度焚かれた。 「にいちゃんの理屈では、双葉のおっぱいに触っていいのは彼氏だけ」 「ぬ」 「いま双葉のおっぱいに見事タッチしたので、これで俊明にいちゃんは、にいちゃん公認の双葉の彼氏になりました。ジュニアミドル級で暫定王座ですが、すぐに防衛戦が組まれるので準備してください」 「ぬぬ」 「ちなみに防衛線の会場は近場で済ませるなら映画館、勝率を上げたければ出銭ランドや動物にゃんにゃん王国などがジャッジに有利です」 「ぬぬぬ」 「ちなみにおっぱいタッチの状況確認のために、おねーちゃんが写真判定をしてくれたので現在おじさまとおばさまに転送して横綱審議会の真っ最中で」  そこで俊明の携帯が震えだした。なにか絶望的な表情で二つ折りのそれを開いた俊明は言葉を失い、よいしょと卓袱台を乗り越えて回り込んだ双葉は携帯の画面を覗き見た。 「あ、素敵。今日はすき焼きで双葉もお呼ばれね」 「……勘弁してくれよう」 「にいちゃん、にいちゃん。このまま部屋を暗くしてると世間様に顔向けできないところまで進展するけど、双葉はそれでも構わな」 「あかるいかぞくけいかくー!」  と叫んだ俊明が照明を全開にした後なぞの雄叫びと共に豪雨の中を近所一周した。  とまあ、そんな話。