『やみをてらすもの』  あるとき魔王が仕事に精を出していると、職場に客が現れた。珍勇者もとい闖入者の一行である。 「闇より生まれし邪悪な王よ!」  闖入者を束ねる聖女が凛とした声で叫ぶ。  年度末決裁の書類を抱えていた女悪魔秘書は茶を出すべきかと尋ね、午前の仕事をまとめ上げていた魔王は二つ返事で応じると人数分の茶と菓子を用意してもらうことにした。 『ぐはははははは、愚かなり光の聖女よ。我輩の野望は既に九分九厘が達成済みじゃ、残り九割一厘も次々回の決算期には目処が立つであろう』 「おのれ魔王め!」  語彙力の乏しそうな青年が悔しそうに地団太を踏み、それを聖女がたしなめている。魔王は傍らの応接ソファーを指して茶でもどうかと勧めるが、そんな罠に引っかかる我らではないと聖女の一声で拒まれた。 『それは残念』 『王様、一階の小会議室にショタスキービッチ女王が到着されました』 『誰ですかそれは』 『……失礼しました。魔王妃エリスン奥様がお嬢様と共に面会に』  しれっとした顔で悪魔秘書。魔王はほんの僅かな間だけ、言葉を失う。闖入者の存在など既に忘れたかのように、それが彼らを逆上させる。 『妻には申し訳ないが五分程度待たせてください。娘には菓子と茶を』 「おのれ魔王め、我らを秒殺するか!」 『いや、誰もそんなことは』 「ならば理解しておけ、貴様は妻や娘と二度と会うことはない!」「おまえなんか、ここでぎったぎただー!」  凄腕剣士と愛嬌のある小柄な少女が、ようやく出番を得たのか騒ぎ出す。聖女に勇者、剣士に少女。これが闖入者の内訳だ。 『四人で、なにをするのだね』 「貴様を倒す!」「世界の闇を払う」「貴様を倒せば世界は救われるのでね」「おまえなんか、ここでぎったんぎただー!」  口々に叫ぶ闖入者たち。秘書悪魔は魔王の命を受けて階下の会議室へと向かい、広い謁見の間には魔王と闖入者だけがいる。もう随分と自宅に戻っていないことを考えつつ、魔王は静かな口調で闖入者に尋ねた。 『言っておくけど、君たちに殺されるつもりはない。それに私はそこそこ強い』 「魔王の強さは百も承知!」  聖女は懐より胡桃ほど大きさの宝珠を取り出し、天に掲げた。細緻な針金細工を硝子の天蓋で覆った宝珠は金色の土台に載ったまま魔王に突きつけられた。 「宝珠よ、世界の闇を払いたまえ!」  ぐいっと。  しかし、それだけである。何も起こらない。 「そ、そんな莫迦な」「世界の闇を払う光の宝珠ではないのか!」  狼狽する聖女と勇者。剣士と少女は既に逃げ出した。 「信じるのです勇者!」涙目で聖女は叫ぶ「私たちは正しい! 私たちの理想は清らかで崇高で、非の打ち所もないはず! この光の宝珠を手に入れるために私たちが乗り越えた苦難や支払った犠牲を無駄にしてはいけません!」  これは三日三晩でも足りぬ。  世界を救う崇高な使命と淡い恋心の板ばさみに苦しむ聖女と勇者のやりとりは、隣近所の幼馴染時代からのエピソードさえ交えようとしている。このまま好きなだけ語らせたらさぞや面白い暴露合戦となるのだろうが、残念なことに魔王は忙しい身の上だった。  ふかふかの絨毯の上には、光の宝珠とやら。  闖入者の証言が真実ならば、聖女の純潔に百人からなる海賊一味の生命財産、それを巡って滅ぼしあったという軍事国家が複数。魔王は嘆息し光の宝珠を拾い上げると、執務机より奇妙な道具を取り出した。ひとつは合金製の分銅で、もうひとつは編みこまれた銅線を二つ生やした奇妙な杯である。魔王は宝珠を杯にはめ込み、銅線を分銅の両端に押し付けた。  直後、眩く輝く硝子の宝珠。夜間に本を読むのに便利そうな輝きが魔王の職場を照らし出す。 『おお、闇を照らす物』  はい残念賞。  しょっぱい顔で魔王は呟き、電球とソケットと乾電池を聖女と勇者に握らせた。  固まったまま動かない聖女と勇者の前で『じゃ私はこれで』と魔王は挨拶し、すたすたと階下で待つ妻子に会うべく軽い足取りで駆けていった。階段を下りる頃ものすごい絶叫と悲鳴が執務室から聞こえてきたが、魔王は振り返ることさえせしなかった。