『ふるきとも』  あるところに愚かな男がいた。  男は、自分が賢いと考えて傲慢に振舞った。賢い者は他者を見下しても許されるのだと思い上がり、そのように振舞った。賢ければ全ての人間が敬意をもって接してくれるのだと勘違いして、誰かを思いやることをしなかった。  あるところに愚かな男がいた。  男は、自分がそれほど賢くないことに気付き始めた。  その上で、自分が賢い人間であるように振舞おうとした。自分が賢くないことを、誰もが知っているのではないのか。だとすれば自分はなんと滑稽なのだろうと、おののいた。男は人前から姿を消してしまいたかった。それほどに恥じて、世界の全てに疑いの目を向けるようになった。 「お前達は、おれを騙していたのか」  男の言葉に、周りの者はなにも言わなかった。それは本当のことかもしれないし、本当のことではなかったかもしれないからだ。彼らにわかったのは、知らず道化を演じていた男がようやく己の仮装に気付いたということだろう。  あるところに愚かな男がいた。  もはや誰も信じることができず、それ以上に自分自身を信じられなくなった男がいた。  男は自分を苦しめようとする全てから逃げようとして、そのためにはもはや生きていては駄目なのだと理解してしまった。男は自分が愚かであると知っていながら、どういうわけかその答えにたどり着いてしまったのだ。  男は町外れの草原を歩き、同じように愚かなものが首を吊っているので有名な、まさに首吊りするのにこれ以上適したものはないと思うくらいに素晴らしい大木の下に来た。枝の下にはあいにくと先客がいて、ぼろぼろの布と骨が風に揺れていた。普段ならぞっとして逃げ出したくなるけれど、男は骨となった先客の惨めさに同情するだけで、怖いという気持ちは湧かなかった。 「なあ、直ぐに逝けたかね」  枝に縄を引っ掛けながら、男は骨に呼びかけた。 「できれば早く逝きたいが、おれのような愚か者はできるだけ苦しんでから逝った方がいいような気もするんだ」 『そうさな』  骨が答えた。  風に揺れていた腕の骨がひょいと動いて首の縄を外し、骨の端を縄に引っ掛けないようにして地面に降りる。骨。 『私も色々考えているところだよ。果たして楽に逝けるのかと』 「もう逝ったんじゃないのか」 『逝けたら君と話なんてできるわけないだろう?』  それもそうかと男は考えて、では自分でも試そうと、首を吊った。  ぶらり、ぶらりと。風に揺れる屍ふたつ。